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ワールドカフェ
ディスカッションの後、参加者は5つのテーブルに分かれ、企業間フューチャーセンターLLP代表の田口真司氏と小林明子さんをファシリテーターに、食事をしながら談論風発。福島原発事故を中心に、日本が抱えるさまざまな課題や時代の風潮について、ジャンルを超えてワイワイガヤガヤ、まとめきれないほどのさまざまな意見が奔騰し、熱を帯びた議論が続いた。
[ 各テーブル中間報告 ]
山極寿一
これまでの議論を振り返って、まず人間と社会が出てこないな、というのが反省として出ました。知の融合(越境)については、日本はどうも非常に閉鎖的な社会でお互いの批判はせず組織に忠実にという文化がありはしないか。もっと異分子を入れて議論していかないと突破口は開かれないなどの意見が出ており、ここで何を話し何をめざすかの、そういう議論を原則的にやっていこうということで話が続いています。
高内 章(ストラテッジク・ビジネス・インサイツ プリシパルコンサルタント)
福島の事故の背景についていろんな意見が出ています。東電とJRの体質は似ているなと。そういう体質を象徴するのが原発と福知山線の事故なんですが、ただ、その現場で起こったことは、それぞれの会社の体質でもあるが、どこの組織でもありうることで自分たちも例外ではないねとの声が出ました。ただ、この2社も官僚の世界も、同じ組織の形態のままで長くありすぎ、その辺にも問題が大きくなる原因があるのではという話になったのですが、お坊さんもいて、そういえばお寺も組織の形態がずいぶん長く変わっていないね、と自省もあって大変盛り上がっています。
篠原 総一
このテーブルでも医師会、官僚の話、原発事故の犯人探しは問題をはっきりさせるためにも必要とかいっぱい意見が出ています。知の越境について、一般論としては出ています。
中原 有紀子(京都大学産官学連携本部研究員)
議論は原発からいろんな話へと飛んで広がっています。医学の話で昔と正反対の考えが何の反省もないままに今の常識になっているという話があり、原発だけでなく、日本の今、いろんなところでこの「無反省」が見られるぞなど、とワイワイ弾んでいます。
角谷 裕司(ブラザー工業知的財産部 グループマネージャー)
8合目までの議論をするのには情報がいる。インターネットなどで情報は取れるが、大きな流れはマスコミが誘導する。山口さんから電力会社の巧妙な情報作戦の裏話を聞き、マスコミの情報の公平さについていろいろ意見が出ています。
[ 後半のまとめ ]
山極
知の融合から、科学者、世間、政治がどうつながりを持っているかで盛り上がった。知と政治、マスコミの三つ巴の関係に産業界も参入し、科学者の温床だった大学がなし崩しになっている。その中で、産業界はどういう学生を育ててほしいのかなということを知りたいね、と。
高内
原発に関連し、有事の備えがあったのかということを話しました。マニュアルはあっても「有事がない」と教育されている人たちが有事の時にどう反応できるかというような話が出ました。その中で、原発事故の現場でバケツリレーで作業をやったなど、日本の現場力は確かにまだ強いのだが、現場の価値観がコストだけになっていることが問題。日本の現場力、有事と平時とはどういうことか、もう一度考え直すことが大事だという話になりました。
村田 純一
ぼくはリーダーシップの必要性についていいました。「最後はこいつのいうことを聞く」ということがはっきりしていないと組織は持たない。
高田 公理
マニュアルというのは、手や体を、どう動かすかの指針ですよね。原発のマニュアルも、平時にそういう訓練をやっておけば良かったのではないかなあ。繰り返し、そういう練習をしておくと、心や気持も、それに添うようになっていく。
その最良の手本が東京ディズニーリゾートのマニュアルですね。そこでは心の持ち方それ自体は問題にしないんです。そうではなくて、例えば「子供から質問を受けたら、まずひざまづきなさい」と書いてある。すると、子供と案内人の視線の高さが同じになり、子供が安心してなついてくる。それを見ている親御さんも「ちょっといい気分」になる。すると案内人のほうも、うれしくなる。ここでアルバイトをする学生たちは、大学で言葉を通して学ぶことより、ずっと大事なことを学んでいるんですね。
これを一般化すると、人間は「体の発する声を聞く」ことで、世の中に流布している話が本当のことなのか、それとも嘘なのかを判断できるということになるのではないかと思います。最近は、いろんな事柄を「頭で判断」しがちですが、本当は翻って「体で感じてみる」ことの大切さを思い出すことが大事なんじゃないか。大づかみにまとめると、そんな話で盛り上がったのかなあという気がします。
塩瀬
事故ゼロとか、過度の安全基準を求めるところに、実は事故がゼロにならない問題がある。医療現場などでの実態について意見が出て、リスクについて話し合いました。無菌状態というのは、菌に出合うとだめなんですね。リスクと隣り合わせにあるという意識が常になければならない。事故ゼロをめざしているばかりでは、 実際事故が起こった時には対応できない。事故ゼロを目指すことが、かえって事故になったときの被害を大きくしてしまうというジレンマがある。そこから、無菌状態の大学ベンチャーも実社会に出てリスクに出合うと弱いんじゃないかなんて話も出ました。
また、技術の継承ということについて考えるならば、20年に1回行われる伊勢神宮の式年遷宮との関係を考えておく必要がある。いくら原発の耐用年数を延ばしても、40年で定年になるサラリーマンの世界では、40年もたてば、スタートした時の思いや理念があってもそれを知っている人はもういないから、思いを共有できない。そこにリスクと隣り合っているという危機感も希薄になっていくことが、先の事故ゼロと同じように潜在的リスクを高めることになってしまっているのではないかと考えます。
角谷
中部電力の浜岡原発が近くにあり、そこにある博物館に実際行ってきました。実物大の展示があり、原発について実感できます。
牧野 成将(同志社大学大学院生)
いろんな知識が出会い、共鳴しあって新しい価値観を生みだすというのは、私が関係する金融の世界はじめ時代の要請と思います。ディスカッションとカフェを通じ、いろんな議論がそういう新しい価値観につながっていくんだと感じました。
高田
「ワールドカフェ」という仕組みは、どこで誰が始めたものなんですか。実は京都には、これに似た仕組みが昔からあるんですね。「汁講(しるこう)というのですが、皆が簡単な料理や汁を持ち寄って、気楽におしゃべりを交わして、ああ面白かった……こうした催しが京都には近世に出来ていたんですね。近世からあるんです。
山口
ワールドカフェは、本当は、食事はないんです。それで、ケンブリッジの「カレッジ」という形式にしてみようと思ったんです。本当は、各テーブルのメンバーが入れ替わりながらやるんですが、きょうは私なりの味付けでやってみました。「めし」を食うととても仲良くなり、あらゆるジャンルの人とクイーンズイングリッシュで2時間も話をしなければいけないので、相当力もつくんです。日本人というのは、グランドデザインが描けないとよくいわれます。私は、その理由について「知の越境」がないためだと考えています。違う分野の人とめしを食って話をすれば、否応なしにグランドデザインが発生します。ぜひこれからも、月に一度のカフェでめしを食いながら議論し「知の越境」を行っていきたいと思います。堀場さんきょうの感想はいかがだったでしょう。
堀場
このテーブルは知性と教養の塊みたいやったね。それはそうとして、ぼくは、今もう少しみんなが哲学を勉強する時やと思うんです。よくある簡単なことを難しくいうのが哲学と違いますよ。哲学は毎日毎日生きているということ。生を受けそして死んでいく人間が、自分の人生をいかに価値あるものにするか考えることが哲学なんです。あらゆるジェネレーション、あらゆる職業、立場の人が集まるこの場は貴重だと思います。同じフロアで違いを乗り越えてワイワイガヤガヤやる。日本にはあまりチャンスのないことなんですが、今回その実現の一歩を出せ大変うれしいです。
次回は、温暖化で問題になっている「CO2」の真実、その次は地震です。常識といわれていることが真っ赤なウソとわかってきます。だんだん面白くなっていきまっせ。
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