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ワールドカフェ
スピーカーやディスカッサントも参加してのワールドカフェ、第2回は「CO2主犯説が科学的に間違っているのは本当か」、その上で、CO2が犯人と信じこまされるように、なぜ「科学の誤用がなされるのか」という二点です。 それぞれの立場や年齢を超えて喧々諤々の討論が続きました。 その纏めは下記の通りですが、ワールドカフェが終わってもこのカフェはさらに続いています。
[ 各テーブルのまとめ ]
浅野 耕太(京都大学大学院人間・環境学科教授)
このテーブルでは、「科学者とは、科学とは」という問題からスタートしました。 それで、科学者、技術者そして経営者、この3者がどういう社会的役割を持っているかということで話し合いました。 それで、科学者は真理を探究し、それを具現化し価値に変えるのが技術者の働き、そして経営者が世の中にそれを出していくという役割がそれぞれにあるんじゃないかということになったのですが、この三つの役割をどう考えるかはとても大事で、その中で、科学者は基本的にはもうちょっと前に出てもいいのではないか、そしてもっと社会的責任を持つべきではないかというのが私たちのテーブルの結論ということになりました。
これにプラスして、経営者の話では、これは私の持論なんですが、日本で一番欠けているのは経営能力ではないかということで、これをどんな形で養成できるか。 私の大学にもビジネススクールがあるんですが、それを出たからといって経営者になれるわけではもちろんないことは皆さんも思われることでしょう。 もしかしたら、日本の官僚のひとがもう少し経営者の能力を持っていたら、わが国はもっとましな国になるのではないか、とこれは私の思うことです。
大野 彗(大阪大学大学院経済学研究科)
やはり、科学技術と科学の純粋な理論というものをしっかりわけて考えなければいけないのではないかということを話していました。 これをごっちゃにすると「科学の誤用」という感じで、わかりにくくなってしまって、誤った方向に進むのではないか。
で、大事なのは、科学技術と理論を結ぶ人物を養成すること、もしくは、国民がそのことの意識を高めていくことではないか。 それで、どうすればいいかということですが、大切なのは知識ではなく、アプローチの方法だという意見がありました。 問題が起こった時に、それをどういうふうに解決するか、そのアプローチの方法が科学的であれば、科学が人々にとって有用なものになるのではないか。 科学的な方法で、原因と結果を考え、その因果関係を自分の中で人に説明できるように解明してゆく―これで、科学はもっと有用なものになるのではないかと、そんな話をしました。
牧野 成将(同志社大学大学院)
「科学はなぜ誤用されるか」で始まり、さまざまな意見が出ましたが、最後にまとまったのは、科学を考える際は人間を中心に考えないといけないということでした。 そして、社会に役立つ研究とかにしっかり焦点を絞った形で科学を考える必要があるんじゃないかなど議論し、これから「真の研究」というものを日本の中で構築していく必要があるのか、そのためにどうすることが大事なのかなど、まだ、議論はつきません。
内崎 直子(大阪ガス近畿圏部)
やはり、科学はなぜ誤用されるかというところから多岐にわたっていろんなテーマが出てまいりました。 結論からいうと、科学は誤用されるのではなく、「悪用」されているのだということでした。 それは何のためかというと、やはりお金のためだと。 人々のいろんな不安を利用して、科学というオブラート使って、その中で、何か説得力を持って私たちに信じこませるような風潮ができあがっているのではないか。 これは宗教、哲学、天文学にも通じる。
それと、議論の場でも出たんですが、科学者が「わからない」と返事ができるかという話になりまして、「わからないということがわかっている人がわかっている人なんだ」ということが結論になりました。
柴田 一成(京都大学花山天文台台長)
先ほど、「役に立つ科学」とおっしゃったんですが、科学の本質はそうではないと思います。 天文学は最も役に立たないといわれている学問ですが、天文学から出た「暦」は2000年前にできて、今役に立っています。 最先端の天文学は、今役に立たなくても、何千年か何百年かわかりませんが、そのうち役に立つことにつながってくると思います。 科学を、目先のことに役立つか役立たないかで判断するのはいかがなものか。 これは理学全般にいえることです。
それと、もうひとつ。 確かに、科学がわからないということがわかる、ということが大事です。 で、私はいつも学生に「何がわかって、何がわからないのか自分の頭で考えよ」といっています。 学生は、「わからない」ことに対し、不安を感じていますが、「それでいいんだ」といい続けると、1年ほどで慣れてきます。 それと、最後に、科学のいいところはですね、「間違っていたことを後で間違っていたと認めることができるところ」なんです。 (拍手)
牛田 一成(京都府立大学大学院生命環境科学研究科長)
このテーブルでも、科学と技術について話し合いましたが、この二つは、はもちろん兄弟のような関係ではあるけれども、思想性が全然違う。 で、私は農学部の出身なので、たたきこまれてきたことというのがもちろんあって、極めて生化学的な立場になってしまうんですけれども、「ものをとれ」ということです。 「もの」というのは酵素とか化合物であったりするわけですが、「もの」をとって現象を説明するんですね。 「なんでそうなっているか」という話じゃないんです。 京都大学の出身なんですが、京大の中では「HOW TO」というのと「WHY」というその二つの問題の立て方があって、今、柴田先生がおっしゃったように理学部的なニュアンスっていうのは「WHY」に近いんですが、農学部や工学部、それに医学部もそうなんですが、やっていることは、「これをどう解決するかという方法論」なので「HOW TO」なんですよね。 でこの「HOW TO」が相当押して来ていて、理学部も大分占領されてきています。 これは極めて危険なことです。 こうしたことがバックグラウンドにあって、科学と技術のセパレーションが必要だろうという話になってきているのではないか。 それで、この実害がどのぐらいあるかという話にもなって、やはり、テクノロジーもエンジニアリングも経済に直結している。 つまり金が入るわけで、これに勝ち切れるかどうか…。
大学でもお金になる方を盛り上げることになるのは決定的。 研究を誘導しているのはやはり金で、金をサイエンスの側がはね返せるかというと、大変難しいだろう。 お金については、フィジビリティスタディ(企業化調査)の金額についても話題になったのですが、米国では最初が1千万円、それを通ると7千万円とか8千万円というのに対し、例えば日本のJST(科学技術振興機構)の場合は、そのほぼ10分の1です。 米国は、世界から集めてきた金をFSに投資するわけですが、その中には日本からのお金も入っている。 そのことを考えると、日本は未だに植民地状態を払しょくできていない感じがする。 そして、地球レベルで見ると、どうも研究に使われる金も搾取の構造の中にあるのではないか、そんな議論が続きました。
終わりに...
どうも有り難うございました。 「地球温暖化―CO2主犯説を斬る」をテーマに行ったきょうの討論とカフェでの意見交換を、ヘタにまとめることは不要と思いますが、科学と技術それに経営は、それぞれが独立したゆるぎない軸を持っている。 そして、この軸を認識することでかえって、逆に科学者が社会的コミットメントを果たすことができるんだという議論が主におこなわれたと思います。
これができたのも、科学者と技術者、経営者が一堂に会し、また社会学者の方たちにもご参加いただいたおかげです。 これがまさにAGORAのめざすところです。 次回も、地震をテーマにワイワイガヤガヤやろうと思っております。 ふるってご参加ください。
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