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ワールドカフェ
スピーカーやディスカッサントも加わってのワールドカフェ、
予定時間を過ぎても熱心な話し合いが続きました。
[ 各テーブルのまとめ ]
コリン P.A ジョーンズ(同志社大学法科大学院教授)
「安心して・安全に暮らせる」というのがお題でした。 安全と安心は分けて考えるべきではないかということで、要は、科学でわかっている範囲のところを安全にすることはできるが、それはユニバーサルなもの。 安心は主観的なものであって、ある意味では政府の「商品」になっているわけなんですね。 あまりにも商品性のところが強調されると、ちょっとゆがんだ方向へ行ってしまうんですね、どうしても。 地震が起きることは起きるので、ほんとはちっとも安心じゃないところがあり、安心するためには、ある程度市民が自ら責任を取らなきゃいけない。 すると、自己責任の部分の負担が増えるのだろうが、でも、安心が政府の商品になるよりましかな、と。 そんな話をしました。
飯嶋 秀樹(同志社大学大学院)
地震の研究について、市民がどんなことを知りたいか。 もうひとつは、市民と研究の間がどうあるべきかということを話しました。 その中で、研究者には研究が得意な人と教育が得意な人があり、その特徴を生かし役割を分担しながら研究をやっていくと成果がもっと出るのではないかという意見が注目されるものでした。 また、研究は予知のためにやっているのではなく、地震のメカニズムを科学的に解明することが一番の醍醐味で、これは何十年とかかることなので、後継者を育てながらいつかは役立つという思いを念頭に研究を続けていくことが大事ではないかという意見もありました。 そして、予知ができるようになった時はどうするかということもいろいろ議論になったのですが、地震が起きようが起きまいが、とにかく免震住宅に住むのが常識になるよう、科学者と技術者が手を携え頑張るというのが、これからの日本の姿ではないかというのが結論だったように思います。
大原 邦香(帝人エンテック エンジニアリング研究所)
地震学的な予知は、まあ無理かということになったのですが、ディスカッションでは否定的だった地震の前に動物が騒ぎ出すことなどについては、肯定的な意見が出て、もう少し科学的に長期的にこうした行動を見て、ほんとうは地震と関係があるのかどうかもっと調べたらいいというのが大勢となりました。 後、地震とコミュニティーということに関連して、京都は街の大きさも適度で、コミュニティーがしっかりしているし、震災に見舞われたとしても、東京のように、住人が孤独で心がささくれ立つようなことはないだろうというお話も出ました。
三浦 充博(庵営業チームリーダー)
研究者と市民というのはどんな関係かというのが主たる議論でした。 研究者が浮世離れして市民感覚をなくすのがいいのか悪いのかということだったんですが、トレンドに流されずにこれは事実、これは違うと、大きな声でいえるかどうかが、研究者のあるべき姿で、ここのところに市民との肌感覚の違いがあるわけで、これを埋めるために何をするか。 ひとつはジャーナリストに研究成果をきちんと伝えさせる。 また、京大、東大というのが共同でシンポジウムを開くなどして、市民に研究の内容を正確に伝えていくことが大事。 また、研究者の社会的責任ということと同時に、市民の社会的責任ということもあるということで、市民は自ら知識を身につけ、自分で判断できるようになるための努力をすることをする必要があるのではないかということで話を終えました。
牧野 成将(京都高度技術研究所)
谷本先生に入っていただき、議論を進めました。 わが斑も研究者と市民とのつながりをテーマに話したのですが、どうしてもこの間には乖離がある。 それをつなぐ媒介者、翻訳者の存在が必要で今後大事になっていくだろう。 当然メディアというのがひとつあるわけですが、研究者の情報をそのまま伝えるだけでなく、ムービーの活用とか伝え方にも工夫をしていかなければならないという意見がありました。 市民はそうして情報を受け取った時、最後に意志決定するのは市民ひとり一人なので、自己責任が大切になってくるということで話を終えました。
終わりに...
山口 栄一(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)
では、谷本さん、きょうは、ほんとうにわかりやすいお話をありがとうございました。 最後に一つコメントをお願いします。
谷本 俊郎(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
一番大きな印象は、ワールドカフェってのは実に面白いと思いました。 講演では、日本でのいつもの反応と同じであんまりリスポンスがないなあと思っていましたが、カフェでは、いろんな意見が出てとにかく楽しかったです。 ありがとうございました。
私にとっていちばん大事なのは、研究の内容を、ほんとにみなさんに伝わるよう努力しなければいけないということ。 たまに1、2年生を教える時に感じることに近いんですが、いつも研究者同士でいると「jargon(仲間内の専門語)」ばかり使っているわけです。 その方が話が簡単に済みますからね。 でも、そういうんではなく、jargonを一言も使わず、どうやって本質を説明するか。 きょうはそのつもりで準備をしてきました。 うまくいったかどうかわかりませんが、その努力をすることによって自分自身学んだことがたくさんありました。 同時に予想外の意見もたくさん聞かせていただき、ほんとうに感謝しています。 ありがとうございました。
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