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第6回クオリアAGORA/アフロユーラシアにおける穀物と文明


第6回クオリアAGORA/アフロユーラシアにおける穀物と文明の画像1
多くの穀物の中でイネとコムギ、そしてトウモロコシの3種類のみがなぜ世界制覇をなしえたか、そしてそこから生まれた文明とは? 第6回のテーマです。 総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎副所長のスピーチ、続いて堀場製作所最高顧問の堀場雅夫さん、佛教大学社会学部の高田公理教授、木乃婦若主人の高橋拓児さん、同志社大学大学院総合政策科学研究科の山口栄一教授が参加してディスカッションを行いました。 レギュラーメンバーの京都大学大学院理学研究科の山極寿一教授も途中から参加、より興味深い会合となりました。

 


 

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第6回クオリアAGORA/~アフロユーラシアにおける穀物と文明~/日時:平成24年10月25日(木)16:30~20:00/場所:京都高度技術研究所10F/スピーカー:佐藤 洋一郎(総合地球環境学研究所副所長・教授)/【スピーチの概要】 出アフリカ以後、人類は長らく移動を伴う狩猟採集生活を続けてきたが、やがて定住、農耕を始めた。 農耕はやがて穀類(集約的な糖質給源)を生み、穀類は都市文明を生んだ。 主な穀類14種は、冬作型(ムギ類)と夏作型(ムギ類以外)に分かれる。 また夏作型は、アジア起源(イネ、アワ、キビ、ヒエ)とアフリカ起源(ソルガム、トウジンビエ、シコクビエなど)とに分かれる(トウモロコシは中米原産)。 今回は、それらの中で、イネ、コムギ、トウモロコシの3者だけが世界制覇をなぜ果たせたのかを考える。 /【略歴】1952年、和歌山県生まれ。 1979年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了。 農学博士。 国立遺伝学研究所研究員、静岡大学農学部助教授などを経て、2003年より総合地球環境学研究所教授、2008年から副所長を務める。 専門は植物遺伝学。 「稲の日本史」「食と農の未来 ユーラシア一万年の旅」「知ろう 食べよう 世界の米」「食を考える」など著書多数。 





 


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スピーチ 「アフロユーラシアにおける穀物と文明」


総合地球環境学研究所副所長・教授 佐藤 洋一郎氏


スピーチの概要として「イネ、コムギ、トウモロコシの3者だけが、なぜ穀類の中で世界制覇を果たしたのか」ということを掲げております。 つまり、表向きのテーマは「人はなぜ三つの穀物を選んだのか」ということなのですが、実は答えは誰もわかりませんし、いつになってもわからないと思います。 


まことに心もとないことですが、ただ、なぜ3種類の穀類が世界制覇を果たしたのかという問題意識を持って仕事をしている人間がいるということを知っていただけたら、半分くらいは目的を達したかなと思いますので、そこだけにしぼって準備してきたお話を進めて参ります。 




今、画面でご覧いただいているのは、世界の人類が食べている穀類―穀物です。 


世界の人類が食べている穀類―穀物


膨大な数で、この名前を全部いえる人はなかなかいないんですよ。 農学部の大学院生でも全ていえるのはまずおりません。 なにせ、人類が食べていた食糧というのは、とにかく種類がものすごく多かったんです。 人類は雑食ですから、デンプンとタンパク質はどうしても必要なわけで、そのデンプン源はまあ、ほんとに有象無象あります。 まあ、みなさんもきょう家に帰って、1年間でどんなデンプンを食べたかリストアップしてみてください。 クズ、カタクリからレンコンまでいれると何百という種類になります。 しかし、人類は何だかわかりませんが、最終的にそのうちから三つを選んだ。 つまり、それがトウモロコシ、コメ、コムギです。 


それで、世界の70億人が日々の命をつないでいるエネルギーの70%が、この三つの穀物ということになります。 この三つのうち一番多く消費されているのがトウモロコシで26%、そしてコメとコムギが22%ずつとなっているのですが、トウモロコシが一番といいましても、家畜の餌になっている部分があります。 それを取り除くと一番多く人々によって食べられ、人類を支えているのはコメということになります。 いずれにしろ、この三つが圧倒的大多数を占めているのです。 なんでこうなったのか…。 


ちょっと自己紹介がてら、私がどんな仕事をやってきたかお話しします。 


若いころ何をやっていたかというと、ちょっと画面を見てください。 


穀物の起源地と移動経路について1


そもそも私が始めたのは、コメ、イネという穀物はどこでいつごろ生まれたかということで、これは半分位ケリがつきました。 イネは、古く見積もると、図では5000~9000BCと書いていますが、つまり、今から7000年から11000年ぐらい前に、ユーラシア、アジアの中、この揚子江流域で生まれたというのが定説です。 最近、インドネシア説というのを一部の日本の研究者が発表しましたが、そんなことはありえない。 揚子江流域が一番古く、この青い線で示したようにいろんなところに伝播していくのですが、最終的には4000年ぐらい前にはインドにまで到達していますし、この熱帯アジア、日本にもそのころ伝わったと考えてよろしいと思います。


それから、緑の線がコムギです。 大体8500年くらい前にカスピ海のあたりで生まれて各地に拡散していきます。 もうひとつ、赤の線で示してあるのが雑穀の移動です。 雑穀と十把一絡げにするのは適当でなく、キビとかアワとかヒエとするべきなんですが、8000年ぐらい前、図のように移動していきます。 


まあ、こんなようなことを調べて参りました。 ところが、30歳になったころ、私が取り組んだ遺伝学の方法では、穀類がどこでいつ生まれたかということがわからないという結論になったのです。 それで、遺伝学をやめたわけではありませんが、まあ、遺伝学だけではメシが食えないということで、いろんな分野の人たちと付き合うということを始めました。 最初に付き合ったのが考古学者でした。 考古学者は遺跡から出てくるいろんな遺物をくれました。 それを分析しないと何もわからないということで、もらった7000年ぐらい前のコメ(炭化米)からDNAをとるという仕事を始めました。


これが多分、私がやった仕事の中では、皆さんに一番注目された研究だったと思います。 遺伝学というのは生物学で、生物というのは字の通り、生きた物を分析するのは得意だが、死んだものからDNAをとるという人はあまりいなかった。 私はこれを比較的早くやったんですね。 遺伝学研究所にいたころ、所長に「生きてるものからDNAを取らないで死んだものから取ってどうする」なんて叱られたこともありましたが、「何いうてますねん、面白いのは古い時代のものですよ」といって、「DNA考古学」の道を開いた。 それが私の若いころの仕事で、ユーラシアの中で人はどんなものを作って、どんなものを食っていたのかということを考えるようになったというのが、遺伝学者としての私のなれの果てです。 また、これは別の機会に話せればと思います。 


それで、きょうの話、数多い穀物の中でなぜ、コメ、コムギ、トウモロコシの三つだけが残ったかであります。 


穀物の分類


総称して穀物とは何かといいますと、主にはイネ科の作物であって、もっぱら種子を利用するもののことをいいますが、大きくいいますと、図の左側のムギの仲間と右側の雑穀の仲間に分けられるわけです。 


マメの仲間を広義に雑穀に入れる人もいますが、まあ、それを入れて、図にあげた種類ぐらいのものがあるというふうにお考えください。 面白いのは、ムギの仲間で日本語とか中国語では、オオムギとか、コムギ、ライムギとかいう言い方をしますが、これが英語圏に行きますとムギに相当する言葉がありません。 コムギはwheat(ウィート)だしオオムギはbarley(バーリイ)と全部違った固有の単語がある。 まあ、そういいながら、彼らはムギという言葉を教えますとすぐ理解して「冬作る穀物で、秋にまき、春収穫して、粉にして食べるもの」と一括りにするのですが…。 このムギに対して、雑穀は、全く逆で、漢字や日本語では、アワとかキビであるとかヒエとか、こういう固有の名詞をもって語られます。 一方、英語圏では全てmillet(ミレット)と、みんなmilletの仲間にされます。


この辺は、関わりの長さや文化の深さの違いといえるかもしれません。 マメはまた、ちょっと違いまして英語圏ではbean(ビーン)やpea(ピー))というように呼びます。 まあ、このように人間は、地域や文化の違いで、それぞれ穀類に違った名称を与えながら長いあいだ付き合ってきたわけです。 


ここで、ちょっと穀類の世界の生産量を見てみたいと思います。 FAOのデータからひっぱってきました。 トウモロコシ、コメ、コムギの生産量が断トツに多いですね。 冬作物のムギをみてみますと、まずコムギ、その次はオオムギ、そしてエンバクと続き、2番目以降は微々たるのものですね。 夏作物の方は広義の雑穀なんですが、雑穀に分類するのは問題かもしれませんが、トウモロコシがひときわ多く、キビやアワはみんな合わせても天と地の違い。 マメも入っていてダイズが多く2番目ですね。 まあ、こんな格好で整理してあるのを、予備知識としてご紹介しておきました。 


雑穀、穀類のデンプン、タンパク質をみてみますと、イネ、オオムギ、トウモロコシなんもかは全部主成分はスターチ、所謂デンプンなんですね。 タンパク質というのはほんとうに微々たるものなんですが、唯一の例外はコムギでありまして、コムギだけが穀物の中で高タンパクです。 ほかの穀物は、すべからく低タンパク。 お米なんかもですねえ、1日に五合(ごんごう)ぐらい食べると必要なタンパク質は摂れるようですが、みなさん五合も食べられないでしょう、毎日。 今の人は、だいたい一合くらいといわれていますから、その5倍ぐらい食べないと摂れない。


穀物は、そんな性質ですから、穀物を食べるようになった人類は、同時に動物性の家畜とか魚などの天然資源を食べないといけなくなったというわけです。 そんな中で、マメは、そうしてみますと非常に性質が違っておりまして、ここにたくさん出ておりますが、どんなものでも穀物よりタンパク質の含量が多い。 ですから、マメとデンプン、雑穀を組み合わせてやりますと比較的栄養価を摂れるんですね。 近い将来、石油がなくなったり、高騰したりして食べる家畜などがなくなった時は、しょうがないから、マメとコメを組み合わせて食べることを考えるようになるかもしれません。 マメは、まあ、そういう位置にある穀物です。 


穀物の起源地と移動経路について2


さて、この図は、それぞれの雑穀が、イネ科という大きな植物のグループの中のどこに所属するかを調べてみたものですが、冬作物のムギの仲間から雑穀の仲間までいろいろなイネ科植物の中にあまねく分布しています。


だから、人類はいろいろな穀物を食べてきたということになってくる。 それなのに、なんでトウモロコシ、コメ、ムギの三つになったのか。 私が思っているだけかもしれませんが、これが面白いところです。 


それで、もうひとつ穀物が持つ面白い性質をご紹介します。 つまり、穀物は単独で生まれたものではないということです。 この図を見ていただきたいのですが、考古学者の資料を基にして作った地図です。 


穀物は単独で生まれたものではない


赤い丸がキビとヒエ、アワ、雑穀といわれているもので、ここにいた人は、8000年ぐらい前、キビとアワを食っていたということです。 水色はコメで、7000年ぐらい前にこのあたりでもう食べられていた。 そして、少し新しいコムギは、4000年ぐらい前で、この三つを重ね合わせると、4000年ぐらい前から、コメも食べていたしコムギも雑穀も食べていたという地域が浮かび上がってくる。 これを地図の上で赤く囲っていますが、私はこれを「東アジア海文明農耕圏」といっています。 ここに一つの大きなアジアの文明圏があったということになる。 これまで、古代文明圏を論じる時、これは日本の教科書が悪いと思うんですが、すぐに四大文明圏ということに行き着きますが、実は中国の場合は、黄河文明というよりこういう東アジア海文明農耕圏という捉え方をしたほうがずっとよくわかると思っています。 


また、同じような穀物のセンターは、もうひとつインドにあります。 ムギは西からくる。 また、アフリカからアラビア半島を経て穀物がきて、イネもある。 インドは昔から巨大なセンターで、また、菜食主義者も多かったようでありまして、ここに参りますと穀物とマメをいろんな形で組み合わせた農業があり、それが文明になって人の命を支えていたように思います。 ユーラシアを大きく眺めてみますと、東アジア海のところに一つ、そしてインドに一つ、二つの大きな穀物のセンターがあった。 四大文明圏とは違いまして私の目には、大きな文明圏というのは、ここ(東インド海)とここ(インド)ということになります。 


で、穀物は、単独で生まれたのではないということに話を戻し、きょうの本題へと参ります。 


穀物の移動経路


図はごちゃごちゃしていますが、コメの中には、インディカとジャポニカという二つのタイプがあるということは、みなさんご存知だと思います。 実は、よく調べ てみますと、生産量も消費量もインディカの方が圧倒的に多い。 大体8割がインディカ、我々が食べているジャポニカは多く見積もっても2割に過ぎません。 インディカは世界制覇を果たしたわけですが、このコメはどうやってできたかといいますと、中国で生まれたジャポニカが、中国人の手で熱帯に運ばれ、そこにあった野生の植物と自然交配、遺伝子の交換をしたわけです。 それで、インディカを作りあげたんですね。


同じようなことがダイズにもいえ、結論だけ申しますと、ダイズの生まれは東アジア一帯で、生まれた場所はいくつもあり、上海とか日本でも丹波(黒)とか、細かく見ていきますといろんな所でそれぞれ固有のダイズが生まれております。 それが、少しずつ栽培の地域が広まり、生産地も拡大していく中で、よその土地に運ばれ、そこでまた違うタイプと勝手に遺伝子を交換し、新しいタイプが生まれてくるという格好でダイズの拡散が行われていったんですね。 


スピーチの模様コムギもまたそうです。 京都大学におられた木原均先生の有名な説ですけど、エンマーコムギという西アジアあたりで1万年前ぐらいに生まれたコムギが、トランスコーカサス、カスピ海の南西あたりに行って、そこの雑草と遺伝子を交換して今のコムギになり、それから爆発的に流行をした。


このように、コメ、ダイズ、ムギみんな同じで、人間が運んでいった先にあった土着の仲間と遺伝子を交換して、それで自分たちの適応の範囲を広げ、遺伝的能力を拡大するということで広がっていった。 まあ、そんなようなことがわかってきました。 まあ、文明が起こる前には、おそらく何百何千という種類の穀物があった。 その中から、ちょうど古代文明が始まるぐらいのころになって、先ほど申し上げたようなことで十いくつの穀物、雑穀ができて、さらに大航海時代以後は、たった三つが生き残ってしまった、と、まあこんなようなことを考えています。 



では、最後にもう少し時間をいただいて、もうちょっと別の話で、話題を提供いたします。 


地域に見る食物の風土


世界の飛行場に寿司バーが沢山できてきています。 バンコクにも、北京の空港にもありますが、この寿司バー、よく考えてみますと、例えばヨーロッパやアメリカの街の寿司屋では、材料のコメも魚も1万キロぐらい運ばれてきて寿司になるわけです。 値段はたいしたことないですが、一貫の寿司に使われた石油はものすごい量になります。 これを考えますと、我々の祖先、稲作文明をやっていた人たちの食は、いかにもエコなんですね。


インドネシアのスラウェシ島に行った時ですが、田んぼの中にフィッシングポンドがあって魚がいっぱいはいっていて、この魚とコメを組み合わせて食べてきたわけです。 同じ場所でとれたものを一緒に調理して食べるというすごいエコな生活をしてきたんです。 これは、ラオスなんかにも同じものが見られ、田んぼの真ん中で魚とりをしていますね。 ヨーロッパではどうかというと、これはジャガイモ畑でありまして、転がっているジャガイモの向こうに羊が見えます。 いわゆる三圃式農業に代表されるヨーロッパの農業は、何回か穀物を作ると土地が痩せてくるので、そこに家畜を飼う。 家畜の糞が地力を蘇らせ、そのプロダクトが人間の食物になる。 そういうのを地図の上にのっけてみますと、東アジア一帯は、コメと魚でありますし、インドは雑穀とマメ、ミルクにムギやジャガイモを組み合わせたセットも欧州などにはありますし、まあ、人類はこういうふうなものを昔から食ってきたんだろうなあという気がします。 


それを考えますと、世界各地の空港の寿司とは一体何であるか。 われわれは、あんなものを21世紀後半にも食い続けられるのだろうか。 まあ、これが私の問題意識であります。 打ち合わせでも先ほどいっていたのですが、環境問題の未来を語りますと、とにかく暗くなり、嫌われるのですけど、まあしょうがないかなと、こんな話をしました。 いろいろいいましたが、人類は何をどういうふうに食べてきたのか、ほんとうに概略を話させていただきました。 




≪佐藤氏スピーチの資料ダウンロード(PDF:4.96 MB )≫



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