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ワールドカフェ
今や日本でもトップクラスの京響を持つ都市・京都。
この京響を核にどんな京都をつくったらよいのか、ワールドカフェでは明日に向けての積極的な提案が飛び交いました。
[ 各テーブルのまとめ ]
●第1テーブル 報告者
橋本 敏子 (NPO文化農場代表理事)
キーは、京都というものの資源性をどのように見直し、それをどう活かすかということです。 その具体的な大きな提案は「ザ・ユニバーシティー・オブ京都」構想です。 これはどういうものかというと、コレージュ、小さなサイズの寮みたいなものを作って、そこに、先生、学生、留学生、寮母さんみたいな人も一緒に住んで、文化、勉強、もろもろのことをここで共有しながら育てていったらどうかということです。 これだけでは、インパクトが弱いので、そこにいろんなものを加えていくんですが、高田先生、ちょっとコレージュの説明をお願いします。
高田 公理 (佛教大学社会学部教授)
コレージュって、単科大学のことではなく、「学寮」の事なんやね。 オックスフォードとかケンブリッジはこれ持ってるんです。 日本でこれやってるのは、歌舞伎と落語だけなんやね。 一緒に生活して、一挙手一投足からいろんなことを学んでいく。 こういうことをせんと、ちゃんとしたもんにならへんやろうと。 だから、小学校の使われていないのをコレージュにしていったらどうか、と。 京都大学は、「KYOTO UNIVERSITY」という非常にはしたない名前が付けてある。 ちゃんとした大学は、「THE UNIVERSITY OF KYOTO」でなけりゃあいかん。 バーチャルに作ったらいいんです。 京都の大学で勉強して卒業したら、条件が整えば、その卒業証書がもらえるとなれば、京都全体で学生募集もできるやろうと。 それと、市役所を改造してコレージュ・ド・京都にして、世界の知性を呼んで話をしてもらったらということも言いました。
橋本
後半では、丸善がなくなってから京都の本屋の文化はどうなってるのかということで話し合いました。 テーマ型書店(ブックカフェ)を作って、あそこには、何々先生が来ているとかいう噂を流したりして、伝統の書店レベルを下げないようにしたらどうかという話も出ました。
●第2テーブル 報告者 岡田 暁生 (京都大学人文科学研究科教授)
キーワードは夜。 昔、お茶屋文化は、町人文化、娯楽との結び目にあたっていたわけですが、オーケストラ文化も広い意味での、夜の文化の復興という文脈で捉えるべきであろうという意見が出ました。 ただし、京響の方から、今の人は夜、体力がないのか、夜の入りが悪い。 で、みんなお年寄りが9時ぐらいになると疲れてきはる、という話もありましたが…。
それから、京都観光に来る人は、社寺仏閣、せいぜい食べ物だけと思っているんじゃないか。 東京のコアな音楽マニアが、京響が聞きたくて、わざわざ日曜日に来るというシチュエーションを作りたい。 私は間違いなく京響は日本で3本の指に入っていると思いますが、それだけではダメなんですね。 東京の人らの間で、京響が日本で一番うまいかもしれないと言ってもらって初めて実態になるというのが現実ですので、このへんは考えないといけない。
次に、ウィーンフィルと書いていますが、ウィーンといえば「音楽の都」といいますが、あれ、自然発生的になったわけでなく、100年ぐらい前からオーストリア政府が、アホほど文化政策をやり回したんですね。 マスコミ、批評家をいっぱい使って、そしてそこには前ぶりが合って「ベルリンと違って」というのがあるんですわ。 ドイツに対する対抗意識で、軍事力では全然かなわへんから、もうこっちは文化や、文化やったら音楽を表に出そうというわけです。 ウィーンフィルも完全なその文脈の中でブランド化したわけです。 彼らは、芸術外交術みたいなものにむちゃくちゃ長けているから、その時々、世界で一番金持っている連中に大枚を叩かせるのが、めちゃくちゃうまい。 かつては、アメリカ人、そして日本人、今は中国人。 簡単に言うと、いいものを維持するにはお金がかかる。 その金を儲けるには、アホで金持ってる奴を騙すのが一番というリアリズムが徹底しています。 露骨な言い方ですが、これは事実ですので、ただ、芸術的レベルは絶対落とさないところは見事なものでありまして、学ぶべきところはあるだろう。
それから、大阪と一緒に元気になろうというのもありましたね。 大阪がうるおわんことには、京都も共倒れになるん違うかということでした。
それから、京都コンサートホールと琵琶湖ホールで、何かコラボする方法はないかという意見もありましたね。 ただ、京都会館が再開すると、琵琶湖とライバル関係にならないかという声も。
最後に、今の状況というのは、京響だけがポーンとうまいという状態で、せっかくこんなけうまいんやから、京響を核にして、例えば、「京都の音楽の秋」でも、外来のオーケストラを並べるんじゃなく、あの期間は、京響が出ずっぱりになってやる週間をつくってもいいんじゃないか。 京響が出ずっぱりの祝祭週間みたいのを作り、その間に何かが入るというのがあってもいいんじゃないかというのを、私が申し上げました。
●第3テーブル 報告者 上田 源 (同志社大学学生)
このテーブルは、広上先生がいらっしゃったので、ほとんど、京響の話でした。 京響と市民というものが、相互に誇りあえるようになることが重要ではないかということに、私はとても感銘を受けました。 たとえば、京都駅前で、観光にきた人をつかまえたタクシーの運転手さんが「京響を知っているか」と問う。 ところが、このタクシーのおっちゃんは、実は京響を聞いたことはない。 でも、これは、彼ら京都に住んでいる人にとって、京響が誇りということの証拠なんですよね。 やっぱり、そういった相互性、相関性みたいなものが作り上げられたら、やっぱり、京響と市民というものがもっと近くなれると思うし、京都という街が大きく変わっていけると思うんですよね。 で、しかも、この京都という特殊的なモデルを使えば、他の都市っていうものにもそれが波及しうるんじゃないか。 随分納得しましたね。
それから、市民で、ただ「通」が来るだけじゃなくて、全くの素人も来る。 通も素人も一緒に楽しめる、そういう楽団が素晴らしいんだというお話に、感動しました。
更田 誠(京都高度技術研究所)
広上さんからは、ちょっとおっしゃりにくいと思うので、私が代弁します。 「わずか千数百名の箱が、150万人の人口でやっと埋まっているという状態を、流行っているといえるだろうか。 京都は、クラシックに対する文化度が、まだまだ高くないと思う」と。 それと、私が、ニューヨークみたいに、リンカーンセンターに、オペラとクラシックとバレエの小屋があって、ジュリアードみたいな大学があるっていうのは、京都ではおこがましいですかね、と先生に聞きましたら、そこを目指していいと思うよと言われましたので、ぼくもそこを目指して頑張りたいと思います。
それから、市民で、ただ「通」が来るだけじゃなくて、全くの素人も来る。 通も素人も一緒に楽しめる、そういう楽団が素晴らしいんだというお話に、感動しました。
広上 淳一(京都市交響楽団常任指揮者)
ぼくは、オーケストラというのは「街の顔」になるべきだと思っております。 教養の巣窟でも坩堝でもない、それから、教養の代表でもあるべきではない。 もともとは、貴族のおもちゃだったわけです。 ぼくが思うのは、唯一新しいオーケストラと市民のつながりのモデルになるのは、京都しかないような気がしております。 先ほど、上田さんがいったように、バンベルクという街は、行ったこともない運転手のおじさんが、「コンサートホールに行ったか」と聞くんです。 音楽家だからよく知っているというと、「それはいい、ここのオーケストラは世界一だ」というんで、「音楽をよく知っているんだね」といいうと、実はいちども行ったことがないというわけです。 これ、街の中に誇りが浸透しているんですね。 日本の中でできるのは、京響のある京都ではないかと思うんです。 例えば、京都のひとつの象徴でもある花街の舞妓さんや芸妓さんが、大勢で聞きに来てくれるようになるのもいいですねえ。 こんなように、京響と市民が一体となって盛り上がれば、きっと、京都が、文化都市として世界に発信する力強いきっかけになるんじゃないかと思います。
高田
今の話を聞いて刺激されたんですけど、大津にオペラハウスがありますね。 これ、ドイツでいうとフランクフルトぐらいに歌舞伎座があるという話なんですね。 オペラには歌舞伎が対応する。 日本人はオペラも大事オーケストラも大事ということに適応したんだが、同時に、歌舞伎、邦楽というわが伝統の文化もきちっと大事にする必要があるんかなあと思います。
広上
最後にね、クラシックってなんにも敷居が高くないんです。 モーツァルトの「ドンジョバンニ」とリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」という女たらしを主人公にしたのがあります。 これらは、シンコペーションの使い方など、性的モチーフで溢れています。 リヒャルト・シュトラウスは自分で書いていますが、エロチックな官能小説をそのまま、音楽にしたといって笑っているんです。 なんてことはない、官能から始まったものを、それが芸術であると教養の世界に持ち上げたのが明治維新でございまして、実はたいしたことない。 人間の根源や本質というのは、多分、きょう伺った医学の話、物理の話、科学の話にしてからしても、元々はちっちゃな、なんてことはない、人間の煩悩の中から、エロス、食欲、いろんなものをヒントに学問は分かれていったのかなと考えておりました。
上田
これをまとめろというのは、なかなか難しいですね。 私も文学部の学生なんですけど、近松門左衛門はただ遊女と遊んでいるだけの話ばっかりなんですよ。 井原西鶴にしても、ただのエロおやじが書いた小説なんですよ。
ただ、そんなものが、歴史というものを経ると、そのバイアスによって、ものすごくいいものになり学問になってしまっているというだけなんですよね。 文学も歌舞伎も能も狂言も、で、オーケストラも、その教養の高さみたいなものが無理やり作られてしまったせいで、どうしても敷居が高くなっていて、とっつきにくいものになっている気がものすごくするんですよね。 それを単純に、元は娯楽だったんだぞと、なぜそこまで落ちてこないのが不思議ですし、これを、どうやって娯楽的なものだよというふうに一般に知ってもらうか、が、これからの議題ではないかと思っております。
クオリアAGORA事務局
では、村瀬さん最後にご感想をどうぞ。
村瀬 雅俊 (京都大学基礎物理学研究所准教授)
初めてこの場にお招きいただきまして、最初から最後まで感動していました。
実は、きょうお話した話は、1カ月悩み続けまして、バージョンが3まで行きまして、最初は60枚になってこれはダメだと思い、一応さっきの格好になったのはきょうの朝。 でも、それからもトラブルがありまして、ようやくこぎつけたということなんですが、実はぶつけ本番で、生演奏でした。
まあ、何とか伝わったようで、満足と安堵でいっぱいです。 ありがとうございました。
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