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第9回クオリアAGORA_2014/ディスカッション



 


 

スピーチ

ディスカッション

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ディスカッサント

佛教大学社会学部教授

高田 公理 氏


京都大学大学院理学研究科教授

山極 寿一 氏


同志社大学大学院総合政策科学研究科教授

山口 栄一 氏


堀場製作所最高顧問

堀場 雅夫 氏


京都大学人文科学研究所教授

岡田 暁生 氏




山口 栄一(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)


ファシリテーターというのは、みなさんの中のインスピレーションを喚起させて、そのインスパイアされたものをしゃべってもらう、いわば賑やかしと思いますので、いくつかインスピレーションを掻き立てるようなことを話したいと思います。 


最初に「スーパーグローバル人材」というのが、とても下品な言葉だということが出ました。 私も全くその通りだと思います。 「スーパー」がつくとだいたい下品な言葉になります。 私が今でもおぼえているのは、日立製作所です。 「スーパー」をつけた製品を作ったことがあります。 「スーパー日立1」っていうのを作ったんです。 「SH―1」って言いまして、1991年に日立が社の命運をかけて開発したマイクロプロセッサーです。 日立はこれで世界ナンバーワンになるんだ、インテルも凌駕するんだと言い出したんです。 ところが、これ、見事に失敗して、携帯電話からもそっぽを向かれて、もう今は全く使われていなくて、結局のところ日立は、事業をやめました。 というわけで、やっぱり、何か下品な臭いがするっていうものは、うまくいかないんだと思いますね。 


このグローバル人材の「人材」っていう言葉も、ほんとに命令通りにしか動けない「兵隊」を感じさせます。 でも、グローバルエリートとかですね、グローバル人物、あるいはコスモポリタンであるっていうのは、それは、大事なことなんだろうなあという気がするわけです。 私なりに考えてみますと、例えば、私自身は、グローバルエリートではないけれど、少なくともコスモポリタンになれたということを思います。 なった時期はいつだろうか。 それは、自分の中に、揺るぎない軸を持つことができた時なんです。 アイデンティティという言葉でもいいんでしょうけれども、軸を持った。 そんな、ある個的な体験があるのではないかと思います。 


そこでまず話の契機として、自分自身の個的な体験、どうやって自分はコスモポリタンになったな、というお話から始めたらいいかと思います。 山極さん、いかがでしょう。 



山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)


もう、きょうは、全然予想もしないラジカルな話をなさっていて、大概、たじたじとなって聞いてました。 私がコスモポリタンになったのは、人間を外れたってことなんでしょうね。 ゴリラを見てですね、こら、人間ちゅうのは、国同士が、文化が、どうのこうのと言ってるけど、まず、人間ちゅうのを離れないといかんのやないか、というのをある時から思い始めて、すっかり気が楽になりましたね。 


まあ、ちょっとだけ言うと、堀場さんが最初に言わはったようにね、コスモポリタンというのは、グローバルってことは、「国賊」になれということですわ。 例えば、アメリカは日本に原爆を落としました。 で、アメリカ人の中には「原爆は、平和をもたらすためにしょうがない話やったんや」と、言うてる人がたくさんいましたし、今でもいます。 日本人で、日本の中でそういうこと言ったら袋叩きに合いましたよね。 それほど、やっぱり国の差があると思います。 逆に、真珠湾攻撃ってのは、日本では「正当な戦いだった」というし、アメリカ人は「とんでもない話だ」っていうしね。 ベトナム戦争の評価だって、これ、全然違うわけですよ。 だから、これは、全くアイデンティティの問題で、アメリカの国で暮らそうと思ったら、そんなことはいえないわけで、日本で暮らそう、日本人であろうと思えば、そんなことはいえない、という時代が続いています。 でも一歩外れて、その視点を変えて見る人間っていうのが、やっぱりいる。 それは、すごい勇気とすごい努力がいるわけですよ。 しかも、視点を変えるには根拠が必要なんですね。 その根拠を自分で確立するというのが、さっきから、岡田さん、山口さんがおっしゃったアイデンティティを変える、確立するっていう話だと思います。 


それで、そういう体験をどこでするかっていうと、例えば、ぼくらの研究室だと、「子捨て」というのをやるんですね。 どういうことかというと、サルのいる世界に学生を送り込みますから、その時、指導をせずにポーンとおいてくるだけなんです。 あと1年一人で暮らしなさいってことをやるわけです。 するとですね、1年経って帰ってくると、ものすごくたくましくなっているんです。 やっぱり、言葉も自分なりにおぼえるんですね。 一人しかいないもんですから、誰も日本語を喋らないし、しかも、誰かの協力がなければ絶対生きていけないですから、そのために結構苦労もして、ローカルな言葉もおぼえるし、スタンダードなフランス語もスペイン語もおぼえるし、そういうことをして帰ってくると、一皮もふた皮も剥けて、たくましくなってる。 その時に、初めて日本ってものを見るんですね、外側から。 それは、非常に重要なことだと思います。 これは、でも、若いうちにやっとかないとダメでしょうね。 自分が、もう、がんじがらめになってから、社縁、地縁というようなものに縛られてから海外に行っても、これは、もう、見物になってしまうので、もう、体験というわけにはいかなくなってしまう。 だから、最後に岡田さんがおっしゃってたことは、非常に重要だと思っていて、若いうちに行かないとダメでしょうね。 そういう「グローバルエリート」を育てるストラテジーを確立しないと…。 そういうことを、実は、日本以外の国はどんどん始めているんじゃないかと思うんです。 


ところが、それを、日本では「人材」という形でプログラムに乗せて、例えば、「SSH(Super Science Highschool」なんかもそうだけど、高校からやろうとしているわけです、プログラムとして。 それでは何もアイデンティティを確立できない。 つまり、将来、ログラム通りに動く人間にしかならないと、話を聞いていてそういう気がしました。 



山口


「こすて」って、どんな字を書くんですか。 



山極


子どもの「子」と「捨て」るです。 今は、こんなことやっちゃあいけないんですよ。 今の大学教育の常識だと、教員がついて行って、ずっと教えて、連れて帰ってこなくちゃいけないことになっています。 



山口


ああ、「捨て子」ですね、わかりました。 では、高田さんいかがでしょう。 



高田 公理(佛教大学社会学部教授)


いやあ、コスモポリタンとかおっしゃっていただいたんですが、ぼくは、日本から、ほとんど出たことがないんですよね。 ただ、大学の理学部を卒業すると同時に、日本の国内にも異文化地帯はいくらでもあるんでね。 しばらくは、トラック運転手をやったり、それから、工務店で建築関係の仕事をする人と一緒に働いたり、えーっ、酒場を経営したり、と。 あのう、酒場というのは人間がやってくるわけですけど、カウンターの中から酒場の風景を見ていると、猿ケ島とよう似ているんですね。 いろんなことやったはる。 ずいぶんそこには、いろんなものの考え方をしたり、いろんなことをする人がいる。 それで、こういう生活を送る中で、「絶対これが正しいんだ」というふうなことを、簡単に決められへんなあということを身につけたんです。 このことが、もしあるとすると、コスモポリタンの資質なんかもしれんなという気がするんですねえ。 


変な喩え話になりますけれども、日本の清酒は、お酒ですけれども、90年ぐらいまではひたすらですね、純米吟醸。 この一つの頂点を目指して、日本のお酒ってのは自己研鑚をしはったわけですね。 ところが、その間に、確実に酒の消費者は減っていった。 今でも、減っているんですけれども。 ただですね、21世紀になってから、日本のお酒というのは、ある種やけくそみたいなところがあってですね、すべてが純米吟醸でなくても、いろんな味のお酒があっていいんじゃない、という方向へと、ダイバージェンス(divergence=トレンド転換)が始まったような気がするんですね。 ワインの世界ってそうなんですよね。 ワインも、もちろん、ブルゴーニュとボルドーというワインの頂点を、フランスは演出するわけですけれども、世界中にこれが広がることによってですね、例えば、非常に雨の多いニュージーランドみたいなところで、本来なら、ワインになりえないようなブドウからその土地特有のワインみたいなものが生み出されてきている。 これ、何を言おうとしているかというと、そういうような多様性を認めるようなことが可能になった時にですね、例えばワインは、非常にグローバル化していくというふうなことがあるんじゃないか。 日本酒もやっぱり、そうなんですね。 


と、同様に、人間にそれを当てはめてみると、単純に、これは絶対正しいにゃというふうなことを簡単に決めないような、決めてしまわないような余裕というのが、コスモポリタンの唯一の条件なんかな、と。 それを、山極さんは、おサルさんの世界でやらはったと。 ぼくの場合は、建築関係の肉体労働者とかですね、酒場に酒を飲みに来るいろんな稼業の人とか、常識では考えられんようなものの考え方をする人がいっぱいいるわけで、それもまたしゃあないなと思うことによって、物の考え方に幅が出てくる。 そんなわけで、岡田さんのおっしゃる異文化経験ってのは、国内でもできるかもしれん。 



岡田 暁生一(京都大学人文科学研究所教授)


あの、それ、ちょうど言おうと思ってたんですよ。 空間的なことばかり、つまり、外国のことばかり考えてたらダメなんですね。 大事なのは、「複文化」を自分の中に持つっていうことで、一元的な文化の中でしか生きていけん人間というのが、一番悪い。 だから、それは結局ね、言語、国家が違うということもあるけれど、身分が違うとかね、社会背景が違うというのも当然入ってくるわけです。 そのためにも、私、非常に大事なのはね、趣味の世界を持つことやと思ってるんですね。 私、趣味が、いっぱいあるんです。 本職では先生、先生言うてもらえるわけですけども、趣味の世界に入れば、ただの一兵卒ですからね。 全く違う職業の人と付き合うわけですから…。 これは、自分を相対化する意味で、非常にいいことで、一つの世界の中で「ボスザル」になってしまって、自分は偉いと思い込んでしまうことが、一番良うないと思いますね。 



堀場 雅夫(堀場製作所最高顧問)


企業も人材教育いうてですね、相当、金かけてね、最初の3年間ほどは、あんまり仕事させんとつこてるんですが、その、一方において、アホはアホやと、賢(かしこ)いは賢いと。 しかし、アホでもいっぱい使うところがあるんですよね。 そやから、アホを賢うにしようとすると、一番迷惑をかけるのは、そのアホな人なんですな。 ワシはできひんのにさせられる、ちゅうのが一番人間にとって悪いから、そら、会社でアホということは言いませんけれども、この人は、こういう特徴を持ってる、この人にはこれがある、ということを早く知って、その人の最も適した仕事場を与えることが、ぼくは、会社が、人間性を一番尊ぶ方法だというふうに考えています。 それで、3年間のうちに、その人の特性を知って、最も会社の中で、その人が生き生き働けるような仕事場を与えるということであって、岡田さんがおっしゃったように、教育で賢うするとか、アホにするとかいうことは、なかなかできない。 ただ、ぼくが一番大事に思うことは、あらゆるチャンスを与えて、その人にメニューを選ばす機会を、会社は与えるべきであって、強引に、この飯を食え、お前はこれが好きなはずやということはしないっていうことが大切だということです。 われわれの会社の社是である「おもしろおかしく」っていうのは、まさに、その人が、生き生きと働ける場所を、会社も含めて探し出すということで、これが一番大切だと思っています。 教育でどうこうするということでなく、自分がどこで働いたら一番能力を発揮でき、自分がおもしろおかしく人生を送ることができるか―それをリサーチする期間は、十分その人にあげるべきだし、会社としても、積極的にその人の特徴が何であるかを探しだすということが必要だっていう意味で、3年間ほどは、一応教育と言ってますが、実態はそういうことをしています。 



山極


さっき「国賊」になることだ、って言ったけど、実際、日本で起こっていることは、かなりやばいんじゃないかと、ぼくは思っているんです。 岡田さんもぼくも、若いうちに異文化を体験することが重要だと言ったけど、例えば、アフリカのいろんな国は、みんな1960年代に独立したのですが、それまでエリートたちは、みんな、宗主国に子弟を送ってました。 だから、子どもたちは、フランスやイギリスとかスペインに行って教育を受けて、ほとんど、例えばフランス人になって自国に帰って来て、エリート官僚になる。 そうするとね、その国のことなんて考えないんですよ、全然。 もうその国にアイデンティティがほとんどない。 アイデンティティといえば、自分と親族の私腹だけです。 だから、とてもひどいことをやって国が崩壊する。 独裁者が出てきてね、いろんな国でクーデターが起こりました。 今でも起こっています。 


日本は今、資本主義の限界に来てて、個人の欲望を最大限にするようなお金の使い方をしているわけですよ。 それをどんどんやると、子どもを早いうちに英語化しようとして、英語学校、インターナショナルスクールに入れようっていう親が出てくるわけですよ。 あるいは、お金があったら、小学校時代からイギリスやアメリカに留学させちゃおうっていうことになる。 子どものうちから、日本を外から見るわけですね。 これでほんとうのコスモポリタンになれるかというと、なれませんね。 ひどい場合には、非常に個人主義的になり、地域というものを体験せずに大人になって、人を見る目というものが全く育たない。 要するに、さっき、堀場さんがおっしゃったけど、アホはアホなりにって言うか、人間にはいろんな人がいて、いろんな役割を演じていて、何が幸福か、何が楽しいかってことを、子どものうちに肌で感じて育っていかないと、しかも、母国語でですよ。 そういう共感だとか、一緒に生きる楽しさが実感できないと思うんですね。 それを持った上で、なおかつ異文化体験ってのが必要だと思います。 だから、アイデンティティっというのは、自分の国を外から見られるというだけの話じゃなくって、アイデンティティの中には他の人間がきちんと存在していないとまずい。 自分の文化があり、他の文化があり、それを一処(ひとところ)に包含するんだけど、その中に人間性というものがきちんと入っていかないと、やっぱりまずい。 今の日本の教育の仕方やコミュニケーションのあり方は、あまり人を愛せない人間がたくさんいたりですね、多分問題になってるのと同じ話なんだろうけど、そういう方向で動いている気がする。 その一環として、海外に行くとかいう話ができてきているのが、私は、すごく心配なんです。 



山口


では、ここでお話を転じます。 


せっかくの機会だから岡田さんにぜひ聞きたいことがあります。 前回の広上さんの時の岡田さんのお話で、ちょっと目から鱗が落ちたことがあったんです。 それは、ずーっと謎だったんですが、ヨーロッパでクラシック音楽が確立したのは、バッハ(1685~1750年)やモーツアルト(1756~1791年)やベートーベン(1770~1827年)が活躍した18世紀。 しかもドイツ諸国(この当時、ドイツは統一されていませんでした)、そして、オーストリア=ハンガリー帝国ですね。 それから、約40年後に、まるで爆発するように、哲学がドイツ語圏で生まれる。 名前をあげるまでもなく、カントから出発してフィヒテとかヘーゲルとかが生まれて、それからまた40年後ぐらいの19世紀の後半から20世紀のはじめ、それこそ、パラダイムを壊すようなタイプの物理学が続々と、ドイツとオーストリアで生まれます。 ボルツマン、プランク、アインシュタイン、ハイゼンベルク、シュレーディンガー


それで、岡田さんに、「これは、何かあるんですか」と聞きましたら、「1795年にポーランド分割が行なわれてポーランドが消滅すると、その庇護を失ったユダヤ人が、ロシアから難民として中部ヨーロッパにやってきたんだと。 それが、ある種のコスモポリタニズムを持たらしたんだ、っていうことをおっしゃってくださいました。 そこで、きょうは、そのことを聞こうと思っていたんです。 これ、いわばグローバルエリートというのが、文化の衝突によって自然発生的に生まれたわけですから、この辺のお話をちょっと教えてください。 



岡田


いろいろ重要なお話が出ていますね。 まず、山極さんのお話で、音楽の問題に関連させ、今どきの英語教育を見て私が、真っ先に連想することを一つ申し上げたいと思います。 日本の社会は、音楽では、グローバル化、日本語を捨てましょう、英語を話しましょう、というのは、これ、実は、明治維新の時に起こっていたんですね。 音楽は、基本的に言語が介在しませんから、「音楽言語」をヨーロッパに全部変える方がはるかにやりやすく、さっさと100年前にやってしまったんです。 1900年ごろ青春を送った、ある有名な日本音楽の研究家は、「私は、物心ついた時から、日本音楽は、ヨーロッパの音楽よりはるかに遠いものでした」と言ってるんです。 それぐらい早くから、音楽の世界では、グローバル化が起こってしまっているわけですわ。 まあ、その甲斐あって、多くの日本人の音楽家がアメリカでも、ヨーロッパでもどこでも活躍できるようになっているんですが、こういう人たちっていうのは、多くが日本人のアイデンティティなんて何にもないです。 むしろ、それを、ほとんど軽蔑しているようにさえ感じられることがあります。  先ほどの山極さんのおっしゃった、宗主国の留学からもどったアフリカのエリートたちがもたらす功罪という話と、はからずもダブりました。 


それで、安直にグローバル化、つまり、自分の母国語を捨ててしまうということが、何もたらすかということですね。 明治政府が、何で、音楽でこんなことをしたかというと、外国にバカにされたくなかったということです。 まあ、白人コンプレックスでしょうね。 都々逸なんか唄っていたら、野蛮人と思われる、という。 日本にも、ピアニスト、バイオリニストがいるっていうことを、文明国家として対外的にアピールせなアカンということがすごくあったから、全部に唱歌を歌わせ、ドレミファに変えちゃったんですね。 ところが、そういうことをするとですね、例えば、ぼくなんか、日本の音楽って何にも知らないわけですよ。 ある歳になって、それに気づき愕然とするわけです。 実は、真に世界的に活躍しようとする時、このことが、ものすごく足を引っ張るんです。 つまり、日本人がベートーベンの研究なんかやったとしても、永遠に、どこまでいったってマキシマムで2番にしかなれないんです。 これ、有名な指揮者の岩城宏之さんが言ったことです。 


つまり、グローバル化っていうのは、実は植民地化なんですよ、はっきりいうと。 植民地エリートになりましょうってことなんですね。 インドなんかにはいっぱいいたわけですけど、ガンジーなんかでも、そういう人だったんですね。 ちっさいころに英国に留学し、オックスフォードだかケンブリッジだかどっかで育ってる。 で、まあ、母国語を捨てるという危険は、どれだけ意識しても意識し過ぎじゃあないだろうと思います。 


それから、山口さんの19世紀におけるドイツのユダヤ人科学者、芸術家、哲学者の爆発の問題ですけど、要するに、このころ、東欧からのユダヤ人が、ドワーっとドイツに押しかけたわけです。 その後、ユダヤ人の移動ポイントというのは、フランスに移動し、次はアメリカに移っていったんですね。 だから、アメリカの今の知的栄光の基礎を築いた人たちは、ほとんど、実はドイツ経由でニューヨークとかに行っていたんですよね。 じゃあ、どうして、哲学、音楽、科学の分野で、ユダヤ人がこれだけ能力を発揮したかというと、はっきりいえば、医者、芸術家、特に音楽家、それに弁護士というのは、伝統的なカトリックの価値観の中では、下賎な商売やったからですよ。 今はエリートと思うでしょう。 キリスト教では、これ、全部忌まわしい職業です。 医者って、神様が作った体をいじるわけですからね。 科学者は錬金術師、弁護士なんかは、右のものを左に移すだけ、自分で何かを作らない職業は、キリスト教的な価値観の中では低い地位に置かれていた。 逆にいうと、ユダヤ人はそういう職業にしかつけなかった、そういうところでしか生きていけなかったという側面がある。 それともう一つ、科学とか音楽は、基本的に言語が介在する割合が極めて少なかったから有利だったってことですね。 数とか音とかいうのは、言語に左右されないから、その分、ナショナリティーがあんまり問題にならない、というところがあったんですね。 







山極


岡田さんは、言葉と音楽が違うという話をされましたが、音楽は、言葉を学ばなくていいという利点がある。 だから、このグローバル化で、音楽の果たす役割ってあるんじゃないかと思うんです。 今、日本では、若者は言葉を捨て始めているんですよ、実は。 言葉とは違うコミュニケーションツールで会話をし始めている。 絵文字も使っているし。 本来の言葉の意味とは違うところに、コミュニケーションというものを求めようとしていて、コンサートもおおはやりです。 これ、未来に違うことが起こるんじゃないかという予感がするんですよ。 グローバル人材という話にはならないかもしれないけれど、グローバリズムの中で、音楽の果たす役割というものがあると思うんですが…。 



岡田


まずですね、音楽は言葉に束縛されないから、ということなんですが、そのことに、反論というか、ぼくの確信を、まずひとつ申し上げます。 よく、音楽は国境を超えた言葉だって言われ、そう思う人も多いと思いますけれども、私は、「そうじゃありません、音楽ってのは国境があります」といいたいわけですわ。 例えばですね、私のジャズの先生、ジャズピアニストで、世界中どこでも生きていけるはずですけど、それは、ジャズミュージシャンだからですよ。 彼が、尺八奏者であったなら、どんなにうまくても絶対無理です。 それは、ジャズって音楽が世界音楽になってるからなんですよ。 はっきり言って、アメリカの音楽だからですよ。  あるいは、日本人でも、バイオリンがものすごくうまくなったら、アメリカでもオーストラリアでもヨーロッパでも場合によっては、台湾なんかでも、バイオリン奏者として生きていけるのも、世界中にバイオリンがあるからです。 これピアノも同じですけど、つまり、帝国主義化された欧米の音楽がユニーバーサルになっているからこそ可能なんで、長唄の師匠は、どんなうまくても、ケープタウンでは生きていけませんわ。 その意味で、音楽の普遍性っていうのは、あんまり真に受けないほうがいい。 その普遍性というのは、言語以上に欧米一元化が進行しているという意味においてだ、ということなんです。 


先ほどから申し上げておりますが、私、最近、ジャズに熱狂しているんですね。 で、ジャズが生まれるのは、大体、1920年ぐらいからなんですけれども、大体、ジャズとボサノバ、タンゴ、サンバとかって、同じ時代に生まれているんですね。 これ、どういう経緯で生まれてきたかというと、キューバとかブラジル、アルゼンチン、アメリカの人たちは、最初は、ヨーロッパの音楽をそのままやってたわけです。 でも、その移植されたヨーロッパの音楽の中から、一種の「クレーオール文化」が出てくるわけですよね。 つまり、言葉で言うと例えば「英語」がベースになっているわけやけど、妙な訛り方をして、アルゼンチンならタンゴ、ブラジルだったらサンバ、アメリカならジャズというように、現地的なものと混ざり合って、訛りになって、最初はブロークンだったんだけど、次第にブロークン自体が一つのスタイルになって世界的に通用するものになるという、このプロセスっていうのがあったと思うんです。 それで、最近よく言われる「クールジャパン」。 私はこの言葉がきらいなんですけどね、これが、世界の人を魅了しているといわれていますが、これ、ひょっとすると、ある種、欧米発の文化の日本的クレオール化みたいなのが起こって、独自のスタイルが作り上げられているんじゃないかなと強く思いますね。 


もう一つ別の例です。 音楽が果たせる役割で、私がいつも思いますのは、ウィーンなんですね。 ウィーンは音楽の都というふうにいわれるわけですが、このイメージは、オーストリア政府が、実は、100年ぐらい前から「国がかり」で、つまり、ハプスブルグ帝国がもはや、政治的、経済的には持たなくなったので、音楽イメージでもってプレゼンスを示そうというんで、国を挙げて、ありとあらゆることをして、世界中で宣伝して作り上げたある種の「美しい罠」なんですね。 ウィーンと同じぐらい音楽の伝統のある街は、実は他にいくらでもあるわけですわ。 ところが、ウィーンは「音楽の都」というイメージを作っちゃった。 何ていうんだろ、音楽は言葉がわからなくてもわかりますから、そういうものが国のシンボルとしてあると強いですよねえ。 まあ、これ、スポーツでもいいんですけどね。 あのう、学会などでも、仕事の話だけでは、絶対、人間関係は深まらないんですよね。 昼間のディスカッションだけでは、それで終わる。 その後、話が弾む話題というのは、大体限られていて、音楽とサッカーの話なんですね。 で、何だ、相手もこの話が好きなんだというと、わーっと話が盛り上がる。 こないだも、ドイツの学会で、ブエノスアイレスから来ている人とお友達になったんですけれど、彼は、ボカ・ジュニアーズのファンクラブに入っていて、マラドーナを少年の時から知っていると言われただけで、「どんなんやった。 どんなんやった。 」と聞きますもんね。 文化のおかげというか、音楽やスポーツが、パッとある種の接着剤の働きをする力というのは、徒や疎かにはできないなと思いますね。 



山極


例えば、今、いみじくもスポーツのお話がでましたけれども、外国で、言葉がわからなくても、すっとはいっていけるのは、コンサートホールだったり、スポーツのスタジアムだったりする。 そこで、言葉は分からないが、何かわかりあえるような感じがするわけじゃないですか。 そういうものを契機にして、いわばそこでは、ユニバーサルなもの、異文化でもいいけど、一緒に体験できてるわけですよね。 そういう体験のできる仕掛けっていうのが必要なんじゃないか。 例えば、京都でいえばね、インターナショナルなところだっていわれているけども、そういう仕掛けを、実はしていない。 別に、そんなことしなくったって、世界から神社仏閣を見にやってくるというんでしょうが、それは、ただ、日本を見せているだけであってね…。 さっき、ウィーンの仕掛けの話が出ましたが、まさに京都こそ、日本がそういうことをするきっかけになっていくんじゃないか。 


それで、さっき、堀場さんがおっしゃったことに関係するんだけど、東京オリンピックね。 つまり、一番安易でやりやすい話というのは、イベントなんですね。 万博やったり、緑の博覧会、オリンピックやったりね。 オリンピックってのは、一番大掛かりでお金もかけて、すごい集客力はありますけどね。 ワールドカップもそうですけど、日本には、そんなことしかないのか。 まあ、ウィーンが小出しにね、あるいはいろんな世界の都市が、首都に限らず、いろんな仕掛けでもって人を集め、異文化体験をさせている。 その体験の中で人を作り、人の交流を推進している。 これが、日本にとってもいいんじゃないかなあと思うんです。 国家プロジェクトとして東京オリンピックをやる必要はないと思う。 もっと、日本として考えることがありはしないか。 日本は先進国ですから、一極集中型のものを、何度も繰り返して打つ必要は、ぼくはないと思うんです。 



山口


では、後半戦に入ってきたので、これから教育の話をしたいと思います。 えっと、何でしたっけね。 スーパーグローバル人材でしたっけ。 文部省はこういうことをやろうとしているわけで、とても下品な話だと思います。 


育てられたエリートというのは自己矛盾だよというお話がありましたが、穿った見方をすると、エリートを作るには先生はいらない、ってことになります。 確かに、そういう側面はあると思います。 


例えば、ニュートンは万有引力の法則を発見したとき、先生を持たなかった。 彼は、ウールスソープに帰って、三つの大発見をしたわけですから、先生はいなかった。 1年半後ケンブリッジに帰ってきたニュートンを一目見た師のアイザック・バローは、彼の方が高みにいることを見抜いて、彼にルーカス教授職を挙げてしまう。 


アインシュタインは、ハインリッヒ・ウエーバーという先生から嫌われちゃって、推薦状を書いてもらえないので、どこにも就職できなかった。 アインシュタインは終生、ウェーバーを憎みます。 


それから、物理学者でフランス人のド・ブロイって人がいますけど、これも先生がいなかった。 元は歴史学者だった、ランジュバンに師事したものの、放ったらかしにされてしまった。 


また、日本人の中のコスモポリタン、グローバルエリートは誰だろうかって思うと、何といっても植芝盛平です。 京都の人で、合気道の創始者ですけど、先生を持たなかった。 しかし合気道の有能な弟子たちを背中で育てました。 塩田剛三とか、名だたる合気道家が生まれている。 


さて、京都大学というのは、「放ったらかし教育」で有名です。 しかしその「放ったらかし教育」に弊害もあって、仰ぎ見るべき先生の背中がなくなろうとしている。 そのために、京都大学は今、たいへんな勢いで地盤沈下しています。 


いまやグローバルエリートを育てるための教育方法の確立が必要だと思います。 教育の中で、それでもこうやったら、エリートってできるんじゃないだろうか、というアイデアがあったら、教えていただけないでしょうか。 



高田


京大が、世界的に高く評価されるような研究成果やら出していたのは、それは、ひたすら遊ばせてくれたからですよ。 ホンマに、趣味の世界というか、遊ばせてくれた。 これ、前回も言いましたけれども、京都に国立大学をつくるという話が出た時、明治時代、全国から、京都みたいな遊興都市に大学をつくって学問ができるのか、という批判がわーっと起こったんだけれども、実は、京大の先生というのは、祇園にいつづけたり、遊びほうけていることの中から、いろんな新しい学問とか、哲学とかいうふうなものを生み出してきた。 でも、今、大学って遊ばせてくれないですよね。 つまらんことばっかりで…。 ぼくは、5年、大学にいたんですけれど、授業に出たんは10回ぐらいしかない。 まあ、出てたら、もうちょっと立派になってたかもしれないですけど、授業にはひたすら出なくて、そので、自分でいろいろ考えることがあり得て、いろんなことをやった。 


大学進学率が今、5割くらいまで来ているわけでしょう。 例えば、野球で言うたら、マー君みたいな、ピッチャーとしてものすごい有望な能力を持つ人を、教室に閉じ込めて紙と鉛筆で勉強させたらどの程度まで行くんやろう、というふうなことを考えると、紙と鉛筆と言葉を使って人間を育てていくという考え方が主流になっていくことだけでいいのかなあ、ということを思うわけですね。 これに関連して、もうお亡くなりになられましたが、日高敏隆さんが滋賀県立大学をつくった時に、「人というのは育てられない。 ただし、人が育っていくような環境は準備することはできる、滋賀県立大学はそれをめざすんだ」というふうなことをおっしゃったように思うんですね。 今の大学は、手取り足取り教えることばっかりやっていて、いかにして育っていく環境を作るのかということには、あんまり大学と大学の経営者、先生は、思いを致しておられないような気がするんですけども、その辺りに問題があるんじゃないか。 これは、大学だけの問題じゃなくって、とにかく、大学に行かないとまともな人間じゃない、みたいな考え方ってつまらない。 中学卒業した段階でですね、読み書き算盤ぐらいは必要やということであれば、その後、それぞれの最も優れた能力を発揮できるような現場で研鑽を積んでいくことで、世界に通用する人になる可能性はあるやろ、と。 桜のお医者さんとか、宮大工とか、京都にはそういうふうな世界があったように思うんですね。 



山極


ここに来る前に、実は理学研究科の教授会があって、その後、FD(Faculty Development)をやってきました。 まさにグローバル人材育成専門の先生が来て、「評価システムをさまざまな大学と共通につくって、単位の互換性を、これから日本はやらなくちゃいけないですよ」と。 ヨーロッパは、エラスムス計画とかやっていて、もう、国の中だけじゃなくて、国を越えて単位の互換性と成績評価とかやってますから、っていうような話なんですね。 だから、ぼく、ヨーロッパで、英語教育はどれだけ進んでいるのか聞いたんですが、北欧はよくやってるけど、ドイツはそれほどでもないとか言ってて、あまり、中身がはっきりしないんですよ。 


今、日本が一生懸命やろうとしているのは、さっき評判の悪かった英語だとか、それから、いうならばGPA(Grade Point Average)とかね、誰が見てもわかるような成績評価。 誰が見てもって、もちろん文科省が見たらってことなんだけど、要するに、教員の見方を統一させて、一貫した成績評価システムをつくり上げることに躍起となっているわけです。 そうするとね、これ、逆に学生が育たないですね。 プログラム化しちゃうわけだから、達成度ですね。 ここまで達成すれば、と、学生自身も自分で自己評価をするし、先生もここまで達成したら、学生にこういう点をあげるということが、もうわかっちゃうわけです。 わかっちゃうことをね、あくせくやってたって、独創性のある学生は育たないですよ。 それがプログラム化ってことなんです。 そういうことをやろうとしている。 


今、高田さんがおっしゃった、「遊ばせてくれた」っていうのは、つまり、自分というものが、どういう学問だとか分野だとか職業というものに向いているかを、体験しながら、自分で納得する期間が必要だということで、それが「遊ぶ」っていうことなんだと思うんです。 私が学生時代もそうでしたけど、ずいぶん恵まれていたと思います。 それを、最初から、がんじがらめのカリキュラムで縛って、ここまで達成しなさい。 そこで、自分のエリート像を、自分で評価して、上に上がったかどうか自分で判断しなさいと言ってるわけでしょう。 そしたらねえ、まさに企業戦士しか育たないわけですよ。 あらかじめ決められた評価システムの中で、自分を外から評価するってことに慣れてしまう。 でも、これにほんとに慣れちゃっていいのだろうか。 


つまり、大学で非常に重要なことは、いろんな視点で自分というものを眺め、まさに、山口さんも岡田さんもおっしゃったように、自分のアイデンティティを確立することであるわけです。 それには、やり直しができるようなフレキシビリティーが必要であって、そのために遊ばせてくれる幅が要るんですね。 いみじくも、岡田さんは大学生活は6年必要っておっしゃったけれども、今の学生たちには、十分な時間を与えてあげないとかわいそうだ。 何故ならば、ゆとり教育もそうなんですけども、小中高と、いわゆる目標ありきの世界に、ずっと浸り続けてきて、ポンと大学で放り出されるわけです。 すると、目標を失ってしまい、その時に飛びつき易いのは、外から与えてくれる成績評価システム、カリキュラムですよね。 それに飛びついてしまうと、堀場さんが望むような人材育成はできない。 もっと、自分というものをしっかり見据えるような環境づくりをしないとダメだろうと思うんです。 



岡田


この問題を考えるたびに、常に連想するものがあるんです。 人材育成っていうのは、飼育することですね。 育てること。 子どもから大人になりかけの人間という生き物を育てるんですね。 で、あの、私の趣味の一つにですね、熱帯のメダカの飼育というのがありまして、非常に凝っているんです。 「岡田暁生のメダカ」で、検索すればいっぱい出てきます。 


それで、こういう魚を飼う人は二つタイプがあるんですね。 一方は、バイオトープ型で飼おうとする人。 つまり、時間はかかるけど、できるだけ放っといて、そのうち、光と生き物と水草と水質とのバランスがとれてきて、いじらんでも、自然に循環していくような環境ができるまで待とうとする人。 もう一つは、いっぱい器具をつけて、全部数値化して自動制御しようとする、えー、機械と薬品でコントロールする飼い方をする人、ですね。 私は、そんな高価な熱帯魚飼育の装置を買うほどのゆとりはないので、完全にバイオトープ型で飼う方ですけれども、オート管理型の装置なんかすごいですよ。 重病人の病室かというような管がいっぱいついてますからね、目盛とか。 で、水質のペーハーがちょっと変わっただけで、ブザーが鳴って、自動的に水質を調整する薬品が出るんです。 バカちゃうみたいなね。 今の大学が向かってるのが、完全にオール水質管理型のこの「水槽」ですよね、全部数値化して…。 


京大の場合っていうのは、まあ、ずーっとバイオトープでやってきたわけですわ。 なんか知らんけど、なんかようわからんものがいっぱいあるけど、でも、時々、こっから、おもろい生きものが出てくるなあ。 そういうバイオトープができてたんですね。 ところが、バイオトープなんていうのは、はっきり言って水質管理したら、こんなPHおかしやないかということがいっぱい出てくるわけですわ。 普通、PHが6きったらあかん、といわれていてもうまくいくこともあるわけですね。 でも、それをPHで調べられたら、「ええかげんな大学や」ということになってしまう。 


ぼく、今の京大の変貌ぶりを象徴することとしてよく記憶しているのは、正面入った左側、あの楠の左側にですね、長い間バイオトープがあったんですよ。 で、古ーいカメとかが、それこそ、山極さんが入学したころからいたんやろうな、というようなカメが、のそーっと泳いでいて、ぼく、あのそば大好きやったんですけどね。 何か、今、潰されてしまいましたね。 何で、潰すんやろうと思うんですけど、あんたが、入学したころからいるカメかも知れんで、あのカメ、どこいったんやろ。 あのカメ、処分したらたたりあるんちゃいますかねえ。 バイオトープが潰されてしまったっていうのは、何かを意味している気がしますねえ。 



堀場


あのう、私、今度新しく京大でスタートした思修館っていうのに、すごく興味を持ってまして、できた記念に、うちの朽木の研修場に学生呼んでですね、ところが、実は、学生より先生の方がたくさん来てしまって、大すき焼きパーティーをやったんです…。 思修館ができた一つのきっかけは、私の発言も一つあると思うんですが、博士と言うのは、「PhD」と書き「ドクターオブフィロソフィー」ですわな。 なのに、京都大学博士というのは、うちにもおるんですけども、全然、フィロソフィーを持ってない。 ただ、電気とか機械とかの専門家であっても、全然フィロソフィーがないから、こんなんにPhDやったらおかしいんちゃうかいうと、そやけど、決まりがあって、これとこれとこれが通ったら自動的に博士になるんやという。 そんなんおかしい。 で、今、「ポスドク」を使え使えといわれるけど、フィロソフィーのない人を、うちは、会社に入れるのかなわん、と断ってるんです。 


要するに、何かもう、細かい学科がいっぱいありますでしょう。 人文社会環境学科とか。 先生に聞いても、なんやようわからんけど、あのころ、新しい学科をつくったら定員が増やせるというんで、そのへんの単語を三つ四つ集めてつくったら、なんやわけわからんけど、そこに入ってくるのが、学部4年、院でマスター2年、ドクター3年過ごして博士になる。 そんなことおかしいと言っていたら、思修館ができたんです。 山口さんも間もなく行かれますが、思修館ってどう評価されてますか。 ちょっと、きょうおいでの先生方に聞いてみたい。 ぼくは、今の形態はともかくとして、あれこそ、グローバルエリートを作る一つのチャレンジと受け止めているんですけど、どうでしょう。 



山極


ぼくねえ、思修館の最初の思想はすごく共感しました。 だけど、できたものは、ちょっと違うなあという気がするんですよ。 やっぱり、文科省から指導を受けるたびに、変更していったように感じるんです。 思修館の最初の思想っていうのは、単に、少数の人間を集めてやるっていう話じゃなかったと思うんですね。 全ての大学院生に開かれていて、そこで、いろんな既存の大学院教育にはないことをする。 そこには、社会人とか、全く大学とは関係ない人も来て、いろんな講義や実習も受けて、さまざまな窓口として活用できるってことだと、ぼくは思っていたんですね。 ところが、すごく閉鎖的で、先生も限られていて、なおかつ、学生には、初めからいろんな能力を要求するような…。 いろんな能力を要求しても、それぞれは、何も特化した能力ではないような、一体、どういう教育をするんだよ、みたいな疑問を未だに持っているんですが。 



堀場


仰るとおりに、初めの話とは違ったようになっているように思います。 これ、文科省の責任なのか、京都大学がそうやったのかよくわかりませんけど、しかし、少なくとも、今までですね、人を積極的に育てようという空気がなかった京大を、何か、変えるという動機付けにならないかなってことを思っていますけど。 



岡田


あんまり、ぼく知らないんですけどね。 知ってることというのは、人集めに苦労しているということです。 文学部なんかからも、「学生を供出しろと」いうぐらい圧力をかけないといけないぐらい、人が来んかったという話を聞いています。 これは、まあ、いろんな解釈ができると思うんですね。 それぐらい、今の学生は、専門の外にでることを怖がるんだろうか、ていうこと。 これ一つありますよね。 専門の枠を越えてああいう所に行ってしまうと、そこにいる間はいいけど、そのあとどうなんにゃろうという不安がものすごくあるんやろう。 これ、企業の一括採用から一旦外れたら怖い、というのと似た話かもしれません。 学生を、どんどんどんどん小さくしている。 


もう一つは、多分、あのプロジェクトは、最初は、京大らしい、「まあ、好きなことやれや」みたいな、バイオトープをつくるということを目的としていたと思うんですね。 しかし、それが、ああいうふうにプログラム化された途端に、「好きなこと5年間、とにかくやりたい放題やれや」という面白さが失せるのかなと思いました。 学生の志が低いというのと、プログラム化されてしまうと面白い事ができそうなのが弱まるのと…、理由はよくわかりませんが。 


それから、どうなんでしょうねえ、ぼくの知り合い中にも、文学部から思修館に移されたのがいましたけど、教員のモチベーションがどうなのか。 というか、今の教員が、大体、気宇壮大な旧制高校みたいな教育ができるタイプの人が、多分少ないんと違うかなあ、とかいう、まあ、いろんな問題を感じた次第です。 







山口


はい、では、会場に前副学長で、思修館の教授をされている塩田さんがお見えになっているので、一言お願いしたいと思います。 



塩田 浩平(京都大学大学院思修館教授)


これは、大変な状況で、ご指名をいただきましたね。 思修館におりますんですが、堀場さんなんかには、大変な応援団になっていただいて力づけて頂いております。 それで、思修館は、外向きには「グローバルリーダーをつくるんだ」と言っております。 で、先ほどから議論になっているんですが、「グローバル」という言葉も「リーダー」も、なかなか定義が難しいので、「グローバルリーダーをつくるんです」と言うと、背中のあたりがムズムズするんですけども、そういうところで、今までにない仕掛けで教育をするということでつくられたということなんです。 グローバルなリーダーというのは、つくるものではなく、できるもんだと思いますが、そんなことを言ってると、われわれの立場がなくなりますんで、そういう環境をつくるということです。 で、今の岡田さんのお話にありましたように、学生自身の資質、教える側の能力、見識というのがまだまだ十分ではない。 ただ、仕掛けとしてできましたので、その環境をどう使うかってことが、かなり大事なことなんですけれども、きょう度々出てきましたように、今の日本の大学の評価も、アメリカの大学の基準に合わせるということで、例えば、大学院教育でも、決められた基準を満たして出て行くということでありまして、昔のような放ったらかしの教育はやりにくくなっています。 


私は、今まで自由に仕事がやってこれたのは、先ほどのお話にも出てきましたが、師匠となる人が3人いましたけれども、みんな定年前で、先生に邪魔されなかった。 それから、研究でも、結構孤独に過ごしてきて、近くに仲間がいなかった。 それで、研究を理解してくれる人は外国にいて、それも立派な人で、彼らが、自分の仕事を面白いとか、褒めてくれたりすして、それがすごく励みになった。 


ですから、コスモポリタンというのは、環境、そして、その人の気持ちっていうところがあるので、きょうのお話を聞いていて、若い人が心配になるのは、基準にあわないと不安になる、仲間がいないと不安になるとか、そういうことが蔓延しているよう思えることなんですね。 しかし、私の経験からも、若い時は、ぜひ孤独を体験することがいいのではないかと思います。 仲間のことばかり思っておりますと、ある範囲から出られないということですので、一人になってもどこかに仲間は必ずいるということで、あんまり、国のこと、国の境のことは気にする必要はないんじゃないでしょうか。 


思修館は、大変期待は大きいので、私も含め、責任は非常に重いです。 「リーダーは育てても、できるものではない」のですけれども、それを簡単にいうことは、立場上問題があり、控えさせていただきまして、環境を整え、才能にあふれた人にはいってきてもらい、育ってもらい、それをわれわれは邪魔しないということをやっていきたいと思います。 



山口


ちょうど時間になりました。 これから、ワールドカフェに移りますが、一言仰りたいという方はいらっしゃいますか。 



堀内さゆり


最近、京都リサーチパークにはいった堀内です。 去年から、京大で聴講生として美学の吉岡(洋)先生に師事しまして、伝統芸能を勉強しています。 元々、看護師だったんですけれども、途中で会社を作ることになったんですが、それは、京都大学で勉強するようになってから、急に、自分の好きなようなことができるという気持ちになって、そういうことになったのです。 京大は自由で楽しいところで、まさに、岡田さんのおっしゃったバイオトープのようなところなんですねえ。 以前は、京都は出る杭は打たれてしまうというところがあってチャレンジができなかったようなのですが、京大ができてから、その垣根が取り払われたと思うんですね。 堀場先生が学生だった時に起業され、その先駆けになられたと思うんですが、堀場先生は、学生の時、どのようにチャンスを自分のものにされたのでしょうか。 



堀場


ご期待に添えない答えなんですけど、事業をする気は全然なかったんです。 ただ、原子核物理の研究をしていて、大学の2回生の時、日本が戦争に負けて、原子核物理の研究はしてはいけないということになり、米軍が、大学の物理学教室にある装置を全部どこや捨てよったんですよ。 学校に行ったってしょうがないし、個人のところまでは米軍はこないだろうと思って、自分で堀場無線研究所をつくって、自分のやってた放射線の測定器の研究を続け、それで卒論を書いたんです。 アメリカのこっちゃから、1年ぐらいで解除しよると思っていたらひつこくってね、いつまでも研究できそうにないので、しょうがないから自分で仕事を始めたんです。 実は、私、学生ベンチャー第1号といわれているが、自分でベンチャーをしたくてしたんではなくて、大学にいても仕事ができないような客観情勢があって、自分で研究所をつくったんです。 自分では、ほんとは核物理の学者になりたかった。 今でもなりたい、でも、もう無理。 ただ、放射線の測定器をつくってきて、今度福島のためにやっと役に立ったんですよ。 60年間、赤字だったんですが、人が困っていることにつけ込んだわけでもなしに、ずっと60年間やり続けたおかげで、あの時に、200台測定器があったので、次の日、すぐに福島の小学校に送ることができた。 こうして、長年取り組んできた研究が、人の役に立ったってことが、ぼくの、今一番嬉しいことであります。 



金子健太郎 (京都大学大学院工学研究科助教)


私、ドクターから、ストレートで助教になったんですけど、京都大学は、岡田先生のおっしゃったように自然の水槽のようなところがありまして、実は、山口先生のお力を借りてドクターの間にベンチャーを起こしました。 これに対して、ちょっとアゲンストの先生もおられましたが、それは面白い、どんどんやりなさいとおっしゃる先生が大多数でした。 京大のそういう自由な風土は残っていると思います。 京大学全体が沈下しているのではなく、そういう風土は健在だと。 これをいいたいと思います。 京都大学がどう変わればいいかということを言える立場にはありませんが、ベンチャーをやってみて、すごいサポート体制がある都市なので、京都でベンチャーをやるというのはいい選択だと思います。 



木村美恵子(タケダライフサイエンス研究所長)


私が大学にいた現役のころ、京都府教委に呼ばれまして、落ちこぼれがたくさん出ているのを何とかしようという会議にでました。 その時に、落ちこぼれの再生という、落ちこぼれを拾うという考えが出されたんですね。 私は、あまりよくわかってはいませんでしたが、そういう考えはいけないと思いました。 先ほどのお話にもありましたが、いわゆる教科、紙と鉛筆と言葉でやることが下手な人を、落ちこぼれというのは、おかしい。 人にはそれぞれ能力があるので、いろんなことを選べて、そこで自分の能力を伸ばせるような仕組みをつくるべきだということを言って、それでできたのが嵯峨野高校の「コスモス科」です。 すごい人気ということです。 


エリートと言うのはどういうことか、人には、それぞれの能力があります。 その、さまざまな能力を伸ばせる土壌が京都にはあると私も思っております。 お話を聞いていて、ちょっと一言申し上げたいと思いました。 



山口


では、これからワールドカフェに移りたいと思います。 


私事でまことに恐縮ですが、私、孫が生まれました。 それで、彼をあやしているときに、あることに気付いて愕然としました。 それは、「ぼくらのなかで、こいつだけは22世紀まで生きて、22世紀を目撃できるんだ」ということです。 


そこで、22世紀において、京都が「知」と「産業」のバイオトープであり続けるために、どんなことをぼくたちはすればいいのか。 私たちの孫子に向けて何をつくってやればいいのか、ということでいかがでしょう。 




長谷川 和子(京都クオリア研究所)


きょうはありがとうございました。 京都大学思修館という個別の名前が出てきたり、京都大学をどうするかとか、インフォーマルな会議ならではのお話がいっぱい出てきました。 それで、次のワールドカフェなんですが、山口さんの方からお話があったように、京都をバイオトープとして、次の百年の計をどう立てていったらいいのか。 それは、例えば大学では、企業とか、あるいは家庭が、バイオトープとしての機能を発揮して人を育てていくにはということを、議論していただいたらどうかと思います。 今発言のあった金子さん、木村さんの考えも盛り込みながら話し合っていただいたらいいかと思います。 

 

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