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ワールドカフェ
日本が生んだ偉大な文化であるマンガ、世界言語としてのマンガがどう変化するか、また私たちのそ
れぞれの領域でどのように活用、活かしていくかについて活発な意見交換が行われました。
[ 各テーブルのまとめ ]
●1第テーブル 報告者 松本 勇人 (京都大学工学部)
竹宮先生もプレゼン中にもおっしゃっていましたけど、日本のマンガが方法論としてベースにあった上で、各国それぞれ母国語に沿ったものを作ることで、マンガを世界的な新たなコミュニケーションツールとして使っていけるのではないか。 その次が、日本人独自の感性が、グローバルな時代になるほど発信していく意味があるだろうという観点から、日本マインドの発信ツールとしてマンガが提案できるのではないか。 続いては、精神疾患や自閉症の方のコミュニケーションツールとしての利用です。 マンガを読むことだけでなく、描くことも、セラーピーとして役に立つという研究結果も出ているということなので、これもマンガが活用できるのではないか。 最後は、「鉄腕アトム」「ドラえもん」とか「地球へ…」もそうですけど、科学や技術の未来への警鐘としての役割ですね。 漠然としたイメージでしか伝わらないものを、マンガできちっと視覚に訴えるものにするということによって、その警鐘が現実味を帯びるので、日本だけでなく国際的にも役割を果たしていけるツールになるのではないか。
●第2テーブル 報告者 上田 源 (同志社大学文学部)
マンガが何に使えるのか、というところから話に入りました。 別に、何にも使えなくていいだろうというのが結論で、楽しいから読む、これが最初にないと絶対ダメで、教育になるから、未来への示唆があるから読みなさいじゃなくって、面白いから読んで、ついでに教育にも役立てばいいねっていうのがマンガの本質だと私は考えています。
小学校の図書館になぜ、「三つ目がとおる」と「火の鳥」と「鉄腕アトム」という手塚治虫の作品が置かれていて「ワンピース」が置かれないか。 それは、「ワンピース」はまだ、今の段階では娯楽の側面ばかりでしか見られていない。 でも、手塚治虫先生の作品は、もう教育ですよ。 そこに大きな違いが出てきている。 でも、100 年経って、今の言葉が変遷して、その時代に現在の言葉が読めなくなった時には、それは文学部の研究になり、例えば「ワンピース」ってすごい作品ということになっているかもしれない。
まあ、よもやま話というか、好きなマンガの話ばかりしていたわけですけど、マンガは、精神安定剤というか、医学的な話ではなく、人生のつまらない時間の中にマンガがあれば、笑えて楽しいよねえって話です。 マンガって、私たちの人生を楽しくするっていうこと以上に、難しく、いろんなこと考えなくっていいんじゃないかなっていうのが、第2グループ、っていうより、私個人の結論です。
●第3テーブル 報告者 鈴木 祥大 (京都大学経済学部)
マンガは教育に使えるという認識をした後、活字の教科書と違って、マンガは何で読みやすいのだろうと考えたら、背景とか流れがあって夢中になるという側面があるからではないかという報告があり、そこから、話を進めました。
マンガに、何で夢中になるかについては、文書と違って、マンガは絵と文書が一緒にあるっていうことで、自分の研究というか、一日のまとめをマンガでしておくと、後で、効率よく思い出すことに使える例があった。 つまり、マンガは、外部記憶装置として非常に有効に活用できるという話が出ました。
それで、マンガは、なぜ読みやすく、その上で頭に残るのかということについてなんですが、それについては、右脳と左脳を両方使うからではないか、と。 このことから、マンガというのが、老化防止対策になるんじゃないかと。 その具体的な例として、高齢者に人気の高い、「水戸黄門」のドラマからマンガに入ってもらうっていうアプローチもありなんじゃないかなって話も出ました。
それから、世間一般では、まだマンガは、所詮、娯楽って見られているケースが多いだろと思われます。 実は、私自身、LINEをプレゼンに使って非常に効果的だったという例を知っています。 それで、学習用とか企業のプレゼンであるとかに、マンガをもっと積極的に活用していったら面白いと考えま
した。
●第4テーブル 報告者 堂免 惠 (東京工業大学金属工学科非常勤講師)
国際言語としてのマンガのこれからということでは、いままで、マンガやエダマメ、アニメというふうに、日本語がそのまま海外に出て行って、文化として広まっている。 それは、日本の価値観を世界に伝えていて、震災の時の日本人の振る舞いといったような、日本人の根幹も伝わり始めている。 今、中国が軍事力でリスペクトされていない状況で、日本は、マンガなどのソフトパワーでリスペクトされる国になりたいというような意見が出ました。
それで、マンガをどう利用するかっていう点ですけど、今の、少子化を解消するのに使えないかとか、女性科学者が最後にノーベル賞をとりましたみたいなストーリーのマンが作ったらいいんじゃないかなって、だいぶ前から話をしてるんですけど、誰も描いてくれる人がいない。
先ほど、竹宮先生が、マンガは広めようという意識がなく広まった。 それがかっこいいとおっしゃったけれども、お寿司とか、日本の文化ってたいていみんなそうですね。 広めようとしないで、よそからいいなといわれて広まっていく。 私、電機業界なんですけど、なんで、電機業界だけガラパゴスっていわれちゃうんだろうな。 何が間違ってるんだろうなって、マンガのことを考えながら思っていました。
クオリアAGORA事務局
どうもありがとうございました。 世代、立場を超えていろんな人たちにお集まりいただき、立場を超えて、マンガっていうことをテーマに話をしていただきました。 きょうもそうであったように、それぞれの専門領域を超えるところでは、みんながフラットで発言できますので、それが、また自分の専門領域に影響を与えることになるだろうと思っています。 「クオリアAGORA」は、これからもそういう場でありたいと思っておりま
きょうのクオリアAGORA で竹宮恵子さんって、ほんとに、みなさんの憧れの人だということがよく感じられたのですが、竹宮さん、そういう人たちとワイガヤをやっていただきましたご感想はいかがだったでしょうか。
竹宮 恵子 (漫画家 京都精華大学学長)
楽しく、マンガを中心にこれだけ話していただけるっていうのは、なかなかないことだと思います。 とても嬉しいと思っております。 有り難うございました。
それで、先ほど、「電機業界だけ、なぜガラパゴス」っていわれましたけど、実は、留学生がやってきて、日本のケータイを使ってしまうと戻れないっていう話がある。 便利すぎて戻れないっていう話もあるんですよ。 だから、そのすばらしさが、伝えられていないだけなのではないかという気も、チョットします。
高田 公理(佛教大学社会学部教授)
これね、ガラパゴスは、世界中の生物学者の憧れの的なんです。
竹宮
さっきのケータイなんかのガラパゴスって言葉を考えたのも日本人だと思うので、そういうものだと言い表すのがうまいのは日本人だと思います。 以前、日本語学校の先生と何か一緒に研究できないかと、お話したことがあるんですが、日本語の語彙の広さというか、言い回しの多さですね、そういうものが他の言語とは圧倒的に違うということを言われていました。 その豊かさなんかが、やっぱりマンガなどを作っているんだろうなと。 それから、表現方法がものすごく多いということですよね。 レベルの違いもあれば、雰囲気的な違いもたくさんあるわけですね。 そういう言葉の違いっていうのを、まあ普通に飲み込んでいくというのが日本人で、それを、外国の人にですね、どこかでうまく伝えられればいいなと。 もしかすると、マンガは、その一役を担っているんだよね、なんていうふうに思っています。 新たに、外国で言葉が作られることがあるんじゃないか。 日本がそうしていることをわかると、もしかしたら、自分たちの国でも、そうしていいんじゃないか。 オノマトペを作るように、言葉を作るのではないか。 ガラパゴスがすごいのと同じだと思いますので、そういうことを作っていける外国になると、もっと日本との親密度がますんじゃないか。
私は、マンガというものが外国に理解されるようになったあたりから、外国人を見ても日本人と同じように感じるようになった。 何て言うんだろう、外国人だっていう感覚が、既になくなっているんですね。 きっとこういう人だなとすらも、外国人を見て思うようになりました。 そういうふうになってきて、それが理解するっていうことに近づくんではないかなと思っています。 これがもっと広がっていってくれればいい。 するといわゆる、世界で一つの国家しかない時代がいつか来るのではないか。 マンガ研究科では、新しいメンバーが増えると、必ず言うことがあります。 つまり「マンガ王国の人たちは、まったく王様もいない王国なんだけど、みんなで作っていこうね。 その点だけでなら、イスラム国と握手できるかもしれない」と言っております。 そういう考え方で、これからもやっていきたいと思っております。 よろしくお願いいたします。
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