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第7回クオリアAGORA_2014/文化としての農業・文明としての食料



 


 

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第7回クオリアAGORA 2014/持続可能な地球と私たちの為に~文化としての農業・文明としての食料~/日時:平成26年12月25日(木)17:00~20:30/場所:京都大学楽友会館会議場-食堂/スピーチ:末原 達郎(龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長)/【スピーチの概要】私たちにとって食料は、近くのスーパーやコンビニで買ってくるだけのものでしょうか。 食べるということは、人間にとってもっとも大事な営みであり、食を通して現代社会を突き詰めていくと、農業問題に出会います。 日本社会の中で、今、農業はどんな形で存在しているのでしょうか。 私たちは、今後どのような食料を、どのように調達したいと思っているのでしょうか。 今回は、生命を支える食と農を考えます。 /【略歴】末原達郎(龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長)1951年京都生まれ。 京都大学農学部卒。 同大学農学研究科博士後期課程修了。 農学博士。 富山大学助教授、京都大学農学研究科教授を経て、2014年より現職。 2015年より龍谷大学農学部長、農学部教授就任予定。 専門、比較農業論、農学原論専攻。 アフリ カを中心に、世界各地の食料の生産、流通、分配、文化と農業の研究を行う。 著書に「文化としての農業、文明としての食料」「人間にとって農業 とは何か」「農業問題の基層とは何か」など




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長谷川 和子(京都クオリア研究所)


今年2014年は、和食が世界無形文化遺産に認められ、「食」に対する関心がずいぶん高まりました。 しかし一方で、食の原点である「家庭の食卓」のあり方について、様々な問題が取りざたされています。 また、この「食」の豊かさを担保する食材も、流通網が世界中を駆け巡り、安全安心を実感できない状況下にあります。 食材、とりわけ「農」に対する関心をもっともっと高める必要がありそうです。 


クリスマスの夜、来年春に農学部が設置されます龍谷大学で設置委員会委員長を務めておられます経済学部教授の末原達郎さんをお招きし「文化としての農業・文明としての食料」について考えてみたいと思います。 




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スピーチ 「持続可能な地球と私たちの為に~文化としての農業・文明としての食料」

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龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長 末原 達郎氏

龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長
末原 達郎氏


私は、今度、龍谷大学に農学部を作ることになり、その設置委員長ということで、今年(2014年)4月に京都大学を辞め、龍谷大学へ行きました。 なぜ、そういうことをやったのかということも含めてですね、きょう、お話ししたいと思います。 


きょうのテーマ「持続可能な地球と私たちの為に」というのが、いただいたお題で、それに従いまして、私は「文化としての農業・文明としての食料」ということを、スライドで示しながら、考えていきたいと思います。 つまり、問題はですね、私はずっと農学部にいていたんですけれども、より具体的なことからものを考えてみようと思っていました。 私は、食べるっていうことが、人間としての行動の中で、最も重要な一つだと思っておりますので、そこから物事を考えたいというふうに思っております。 


さて、今、何が問題か。 はっきりいってですね、われわれは、生活において、食料のことを考えなさ過ぎてるというふうに思ってます。 わりと美味しいものには、みなさん興味があって、いろんなモノを食べることについては考えていますが、でも、食料全部のことについてはあんまり考えてない。 さらにですね、食料は降って湧いて出るものではないんです。 降って湧いて出るというのもあるんですが、それは狩猟採集社会です。 狩猟採集社会では、うまく食ってれば、降って湧いて出るんですけれども、残念ながら、ほとんどわれわれの生活はそうではないということです。 特に、農業っていうのは、ちゃんと作らないかん。 作るってところから始まって、それを食べながら、われわれの社会では、人が生きているということです。 私は、どうも、これから10年ぐらい、10年から20年で、日本の社会は大きく転換すると考えていまして、そこで、われわれ自身、本来、余り農業とは関係なかったわれわれ自身が、農業のことを考えてみよう。 特にそれは、われわれが食べてる食料というところからものを考えていったら、問題がはっきりしてくるんじゃないかというふうに思ってます。 


さらにもうひとつ言うとですね、どうも国は考えていないようだ、と。 国家戦略というと普通ですね、1960年の「基本法農政」を作った時でもですね、大体、国というものは、国民の食料のことを考えていたわけですね。 あるいは、1995年ぐらいの、「食料・農業(・農村)基本法」のころも、食料自給率を考えていたんです。 でも、その食料自給率だけだというふうな発想でですね、どうも、その、あんまり、国は食料のことを考えていない。 でも、食料はとても大事なことだと私は思っております。 で、誰が考えるか。 われわれが考えるということです。 国家に考えがないのなら、われわれが考えようじゃないか、と。 自分たちにとって、食料って一体何だろうか。 どういう食料であってほしいのかということを、われわれもっと考えて、作っている人に出していっていいんじゃないかと思うんです。 それがなかなかできていないのが、現代日本の社会だということです。 


それで、われわれにとって、食料とは何かということを考えた時に、私自身を振り返りましても、いくつかの視点があります。 一つは自分という視点ですね。 私自身、私の個体としての人間が、どうやって食料と関わっていくか。 2番目は家族という視点で、自分の世界を少し離れて、自分の家族が食料をどういうふうにしていくかを考える視点。 次は、地域社会という視点。 そして、国家という視点ですが、私は、国家という視点が必要だと思ってますけれども、私は国家という言葉を使いませんで、文明という言葉を使います。 したがって、日本文明としてどうするかという視点を持つ。 そして、最後は、人類という視点ですね。 この会はゴリラの山極寿一先生も来られるので、その時、いろいろ議論されたかもしれませんが、ゴリラやチンパンジーさえも食料っていうものが非常に重要で、それを分けることによってネットワークが作られている。 では、人間はどうだというふうな議論をしていく。 まあ、そういう、大きく分けて、五つぐらいの視点があるんではないかと考えております。 


さて、個人にとって食料とは何かです。 「私」という立場から。 まあ、食料って、人間、食べなきゃ生きていけないから、ということで必要なんですね。 大体私は、1日3食食べます。 一度ですね、アフリカでフィールドワークした時、1日1食の民族に出合いました。 とても耐えられない。 夕方、1食食べるんですけれども、大きな洗面器の中に、インゲンマメとバナナの炊いたものを入れて食べる。 それで、おなかいっぱいになれば生きていけるというんですけれども、朝から夕方まで持たないんです。 だから、私はそのフィールドに選ばれなかったんですが…。 1日3食を1食にするというのは、大変なことです。 多分、戦前、戦中の人は、そういうことをよく知っておられると思いますけどね。 それから、こういうことは、戦争中の飢餓の世代、私の母親の世代なんかよく覚えているんですね。 どういう生活をしたかというと、だいたい恨みつらみがありまして、「戦時中は食料がひどかった。 イモばっかり食べさせられていた」。 京都の人たちは、「みんな、お着物を売って、米とか食料に替えた」って話ばっかり聞かされる。 だけど、今のわれわれは飽食の世代で、そういう話は想定外でですね、なくなるとか少なくなるっていうこともわからないし、そうなった時、何を食べるかってこともよくわからないということです。 


食物は1日なくてもひもじくなって、3日ぐらいなければ、ほんとにおなかがすいてですね、水だけで生活していくというのは、大変苦行を伴います。 生死を彷徨うっていうことですので、自分にとって食料が恒常的にあるということが大切なことなんですね。 だけど、今、世の中でいわれていることは、どういうことかというと、国としては、1日の国民の摂取カロリーが何千キロカロリーであるかということが議論されている。 そんなことは、実は、無関係なんですね。 もっとも、地球全体を考えるとね、もちろんそれは非常に重要になってきます。 農学部の授業で、1年生に農学概論というのをやっていたんですけれども、その時、地球上の人が、1日どれぐらいの穀物を食べているかっていうことを説明して、それを覚えさせるようにしました。 大体、小麦、米、トウモロコシがそれぞれ7億㌧作られていてですね、それを全地球の人口で割ったら、赤ちゃんからでもこれだけの量が食べられるはずなのに、なぜ、今、飢えの問題が起きているのかという話をしていました。 (資料)ぼくが、大学1年生の時は、地球全体で穀物がどのぐらい作られているのかというのは、大体、農学部の学生はみんな知っていた。 今はどうか分かりませんが…。 


自分たちの問題として、考えてみる


要するに、食料の問題っていうのは、生きるか死ぬかっていう大変重要な問題に直結してくるんです。 なのに、われわれは、それに対して無防備だっていうことです。 実際に、この中にも、下宿している学生さんもいると思いますが、仕送りがなくなってしまった時、何日生き延びるかというのが大問題です。 どうしたらいいか。 一番重要なのは、京都に自宅のある友だちを持つってことですね。 そこへ行って、何がしかのものをもらう。 そういう社会的ネットワークというのが非常に大事で、ほんとうに命を支えていくという時には、そうやって生き延びていくということが重要だと思います。 もう一つ大きな問題として、ぼくは驚いたのですが、これ、栄養学の先生から聞いたことなんですけど、最近の学生の多数派はですね、食事にお金をかけないということになってるらしいです。 京大生協でしたかね、京大の学生実態調査を見てもですね、大体、今、食事代に月2万4千円使っている。 これ、どういうことかと思って、息子に聞いてみたら、昼飯300円とかですますらしいんですね。 そんなんで大丈夫かと思うんですが、例えば夜500円、昼300円、朝200円ということとしても、それでも月に3万円以上かかるってことですから、いかに、食事にお金をかけていないか。 特に女子学生はそうだと聞いています。 でもね、飲み会にはお金をかけるんですね。 そして、女性の場合、化粧品にはもっとお金をかけます。 


それから、ここが問題だろうというふうに思うんですが、京都の料理人さんたちと話をすると、京大の学生たちは、味もわからんままに大学を卒業するっておっしゃるんです。 ほんとにそうですね。 ぼくも高校時代まである程度味がわかっていたんですが、大学に入ってからは、安いもんばっかり、ろくなものしか食べなくて、そのために、ほんとに味がわからなくなってしまった時代でした。 ホントは逆に京都にいる4年間こそですね、味のことを勉強べきなんですね。 私はそういうふうに思いますけども、まあ、現実はそんなものです。 


しかしですね、一方で、グルメ派も登場してるんですね。 例えば、この辺、百万遍界隈をちょっと見ればわかるように、イタリアン、フレンチ、中華、タイ、ベトナム、韓国といろんな国の料理があるわけです。 こんな国はないですよね。 こういう国、そら、フランズのパリの一部、例えばムフタール街とか行きゃああるかもしれんけど、そうでなかったら、こんなことないですよね。 これほど和食というものがあまりなくて、余りにもインターナショナル化されてる。 われわれの食生活は、非常にインターナショナル化されていて、それは、とってもいいことなんだけども、問題は、余りにも基盤となる食事が弱すぎる。 イタリア人でも、ちゃんとした自分のイタリア食を、まず基本的に食べているということになってますね。 こういうインターナショナルな食事を好き勝手にやりたい放題やってたら、いざピンチの時はどうするかというと、よくわからない。 まあ、もう少し、そういうことはどういうふうになっているのか、というのを関連付けて考えてみる機会を持とうというふうに私は思っています。 


個人としての食料の大切さに続いて家族という視点というのは、たいていの親御さんが思われるのには、自分の子どもは飢えてないかということですね。 つまり、京都に出して下宿させているが、月末になると何を食べているかわからないって心配する。 ぼくの研究室でも、たまたま、岡山からきた学生が一人、家からお米を送ってきてもらってたんで、研究室で院生同士が、その岡山からのお米に群がって、ようやく月末をしのいでいたっていうのをずっと見てきています。 やっぱり、子どもぐらいは、ちゃんとしたものを食べさせたい、というふうに考えるということです。 誰だって、そうで、家族が飢えていたら、それを何とかしようと考えるのが普通である、と。 そして、家族に関しては、非常に身近な社会では、食事を出してお金をとらないですね。 資本主義社会においても、家族の食事は誰もお金をとりません。 まあ、時々とる親がいるかもしれませんけども、普通は、お金はとらないです。 ここが、食の非常に大事なことで、お金をとらずにそういうものが成り立つということです。 中でも、子どもの「食の安全」に関しては、親は考え出します。 特に、結婚して子どもができたお母さんは、食の安全に関して非常に強い危機意識を持って、そういうものに高い関心を持っていきます。 しかし、何を食べさせるかっていうことになると不思議なことに、離乳食なんかは、買ってきたものを食べさすわけですね。 完全な工業製品みたいな離乳食を食べさす。 本来、離乳食っていうのは、親が食べてるものを利用して、子どもでも食べやすくして食べさすというものだったと思うんですが、その食文化そのものが完全に失われているというのは、日本というのは不思議な国だなあというふうに思います。 それはそれで、母親になることによって、あるいは、家族という視点から食べものに対する安全性というものが意識される、と。 ちゃんとした食事を食べさせたいというのは、どんな動物でも、人間でも同じだというふうに思います。 


続いて3番目の地域社会としての視点というのは、私は、あんまり日本では、考えたことがなかったですね。 しかし、日本でではなく、アフリカに初めてフィールドワークに行った時に、この視点を学びました。 さきほど、親が子どもに食事を与えてお金を取る人はいないということを言いましたが、そういう考え方がかなり強いんじゃないかというふうに思います。 実は私は、1978年から、アフリカのコンゴ民主共和国にある山の村でフィールドワークを始めました。 きょうおいでになっていたらよかったんですが、ちょうど山極さんがコンゴで調査しているのと同じ時でした。 ただ調査の対象は、彼はゴリラ、私は人間だったのですが…。 焼き畑の村に行きまして調査をしました。 山の斜面を焼いて畑にして作物を育てるという非常にシンプルな農業ですが、まあ、農業の根源というか、一番ベーシックなものがこの辺から出てきたんじゃないかと思います。 ただし、つくっているのは、キャッサバというイモ、インゲンマメとトウモロコシ。 これ全部、新大陸原産地のものですね。 だけど、アフリカのそういう山の中の村でも、新大陸原産のものが食べられているというのが、農業の基本的な側面なんですね。 農作物っていうのは、使いやすくて、作れる環境にあるなら、どんどん移動していってそこで食べられるという側面があります。 


それで、食事ができるかどうかというのは、とても重要なことです。 この時私は、「赤道アフリカの総合人類学的調査隊」というのに入っていたんです。 霊長類の伊谷さんと文化人類学の米山さんのチームに入って、狩猟採集民と農耕民と他の霊長類の社会を比べるというふうな研究をしていたんです。 最初4カ月、次に8カ月、そして6カ月と、村に滞在したんです。 まあ、京大のやり方というのは実に荒っぽくてですね、山の中に村に下宿させてもらうんですが、村に行ったら、そこで大学院生をポテっと落とすわけです。 そして、4カ月後に拾いに来るまで、何もしないんですよ。 そんなことで、滞在を決める時、市長に出会って挨拶をして、市長から「この村で住んでください。 すると、食事と薪と水が毎日あなたに届きますよ」ってことを言ってもらいます。 これが大変大事なんです。 エネルギーと水と食料、この三つは地域社会が補給してくれるということになる。 それで、大分そこで慣れてきまして、村で、この三つぐらいは購入しようとしたんですけれども、村の中では売ってないんですね。 食料は売らないんですよ。 買えないんです。 なぜか。 地域社会というのは、家族の延長線上にあって、その、地域社会の人たちは、家族を守るがごとく、そこに新しく入ってくる人を守る。 そういうことで、地域社会というものができてるということがわかりました。 それと、お金が万能ではないということを知りましたね。 


アフリカの農業社会


ちょっとスライドで、私がいたムニャンジロ村の様子(8p~21p)を見てください。 こっちの山の上にゴリラがいるんですね。 川の様に見えるのが道でして、その向こう側が、実は焼き畑農地です。 森林をそのまま焼いて農地にしているから、畑かどうかわからないですけど、まあそういう所の調査をしてきた(以上8p)。 


ムニャンジロ村


集落というのはこういうところにあるんですね。 四角い家と丸い家とがあってこれがセットで一つになっている。 丸い家は、「ブゴシ(?)」っていうんです。 これは「台所のある家」という意味です。 これを持つことができた時、ちょっと語尾が変ですけど「ムホシ(?)」といわれる。 これは「一人前の人間」ということなんですが、つまり、結婚して自分のかまどが持てた時、一人前になったとされるわけです。 周りをバナナ畑が取り巻いていて、バナナジュースや酒にして飲むんですね。 その周辺は焼き畑です(9、10p)。 11、12ページこれはキャッサバとトウモロコシの畑、作業風景も映っています。 13ページまたこれは、主食のキャッサバの粉を練った練モチ。 おかずはその葉ですからとっても簡単、1日2回は食べます。 


キャッサバとトウモロコシの畑、作業風景


重要な事は市(いち)場(ば)があるってことですね(14ページ)。 定期市で、農作物を運んできて、ここで売るわけです。 この市でお金を得てものを買う。 経済調査をしましたけど、村の人の支出と収入の90%はこの日、この市でだけ行われるっていうことがわかりました。 次の写真(15p)は、遠くのタンガニーカ湖から運ばれてきた乾燥魚。 市場は自分たちの村ではとれないものを手に入れるチャンスでもある。 牛が映っていますが、ここでは牛はほとんど飼っていませんが、結婚する時に、牛で結納金を支払わねばならない。 その横の写真は、現金もあるということを見せています。 (写真)新しい夫婦の結婚式の披露宴の時に、夫婦が前に風呂敷をおいて、そこにみんなが現金を置いていくというような、そういうお金の使い方がされています。 基本的にお金っていうのは、一つの目的における貨幣という側面を持っています。 ただ、市場には都市とをつなぐトラックが来ていて(17p)、ここでできたキャッサバを都市に持って行って売り、また、都市からは、このトラックで古着なんかが村にやってくるということになります。 


結納の牛と結構祝いの現金


こうして見てみますとですね、ここでは、世の中に「売るもの」と「売れないもの」っていうのがあるんですね。 売れるものっていうのは、市場で売買されるもの。 でもそれは、場所も時間も限定されている。 売れないものは、食事と水と薪です。 これを、どうして手に入れるかというと、「分け与えられる」ということですね。 分配もしくは贈与されるもの。 村の中では、商品としてはできあがっていないっていうことです。 商品というのは、定期市という場だけで交換される。 現地語で「kuusa(クウサ)」「kuula(クウラ)」というのは「売る」と「買う」ということで、実はこの言葉に混乱が見られるわけですが、これは「交換する」という意味があるんであって、これが「買う行為」でこれが「売る行為」であるというのはないということです。 それから、定期市の場では、市場的な交換、マーケットエクスチェンジが行われて、食事も商品として出てきます。 で、基本として地域社会の外側から来たものが商品として販売され、ムニャンジロ村の住民は、農産物を定期市の場で売って、そして商品を購入するという生活を送っているということです。 


そういう農村で生きるというのはどういうことかといいますと、どうしても畑を持たなきゃならない。 畑を手に入れ自分で作物を作るということです。 この人たちは、自分で作ったものを食べてるというのが基本ですね。 畑を借りられるかどうかが大問題で、その土地を借りられる権利があるかっていうのが、この社会で生きていけるかどうかの条件になります。 普通はですね、土地が結構余ってるんで、王様が使っていいよといって土地を貸し与えてくれます。 それを一族みんなで分けていろんな作業をしていきます。 その土地をどうやって管理しているかですが、これ、一族「luhu」、英語で言うと「lineage」ですが、一族のメンバー―長老とその息子たち―が土地全体を持っている。 これ、公共的な側面を持ってるんですけれども、例えば、夫が死んでしまうと、未亡人は農作業を続けられるかどうかが大問題なんですね。 そのために、結構、死んだ主人の弟が奥さんを引き取って、第何夫人にするとかというような形があり、そういうふうなことも土地を利用する仕組みの中に組み込まれています。 とにかく食べることが大事なんですね。 


ノーベル経済学賞を受けたアマルティア・セン氏が言ったように「飢餓とは、食料がそこにあるかどうかの問題ではない。 食料にアクセスできるかどうかの問題だ」というのは、ほんとのことですね。 実際、都市に行きますと、商品はあふれているのに、そこにアクセスできない人がたくさんいます。 村でも、ほかのどっかからやってきた人は土地をひらく権利がないということで、自分の食料は食べられないということです。 農民社会で生きる方法は、食料にアクセスできるかどうか、同時に、土地にアクセスできるかどうかということです。 つまり、具体的に言うと、土地を耕す権利があるかどうかっということが問題なんです。 特にですね、紛争が起きたりしますと、命が危なくなって、人々はそこから新しい土地に移動していきますね。 そこで、新しい場所で、どうやってその土地にアクセスして自立した農業をやっていけるかが、一番の問題です。 これ、私がいたコンゴ民主共和国で、隣のルワンダという国から、難民が流れてきて、その人たちをどうやって定着させるか、どれだけの権利を与えるかで大きく問題になりました。 


食料不足で何が起きるか?


それで、食料不足で何が起こるかです。 (23p)私は、初めて食料不足に出逢いました。 1990~91年にかけてコンゴの都市(まち)にいた時のことです。 そこで、食料価格が高騰しました。 で、ザイールの通貨というものが大暴落して、通貨が一時不通―モラトリアムが起き、使えなくなりました。 すると、どうなるかというと、物々交換になるんです。 そのために、都市では打ち壊しが行われます。 人々は、限界を超えて食料がなくなると打ち壊しにいくんですね。 狙われるのは、やっぱり倉庫であるとか卸売商人。 それから、現物経済に帰って、ヤギとか牛とかトウモロコシとか食物そのものが、売買の単位になってくるんです。 これは、経済学の教えること自体とは違います。 経済学では、多層化された目的別貨幣、貨幣というのはいろんな種類ごとに使われているんですが、やがて、それが、一元化される。 「all purpose money」に一元化されて市場に統合されていくってことなんですが、そうでない場合が起こりうる。 むしろ、目的別貨幣というのができてくる。 


それから、もう一つその時に勉強したのは、「国家は消滅する」ということです。 ぼくが「国家」という言葉を使わないのは、国家は消滅するかもしれない。 だけど、そこにいる人たちは生き続けなきゃいけないわけです。 だから、国家が、そのことを考えているかいないか、国家が消滅しようがしまいが、われわれは生きていかなければいけない―そういう発想からです。 


そういうことから離れて、さて、現実はどうなっていて、どうなっていくのか。 日本にいるわれわれは、残念ながら、判断をすべて与えられているようで、実は、何の選択権も大して与えられていないんです。 われわれは、スーパーやコンビニ、あるいは八百屋さんなんかの前に行って、買うか買わないかだけなんですね。 何を買うか、そして、それが安いか高いかだけの情報しか与えられていない。 今では、さまざまなトレーサビリティがあって、原産地表記されてますけども、TPPに加われば、それが消されるかもしれないということもいわれています。 非常に重要なのは、消費者は一見、自分の食物に自由な選択をできるようで、実は、自由な判断の材料すら与えられていないということです。 こういう問題は、農民でも消費者でも、それぞれでやっていくのではなく、その結びつきの過程というのが重要なんだということを考えていこうというふうに思っています。 消費者と生産者のラインを結ぶこと。 ぼくが、龍谷大学で農学部を作る時、常に言い続けているのは、「消費者が大事ですよ」ということです。 今まで、35年間、なぜ日本に農学部ができなかったのかというと、それは、農業生産者になるための農学部を作っていたからなんですね。 それと、農業の専門分科(化?)。 専門分科のし過ぎで、隣の研究室が何やってるか、誰も知らないです。 そういうものではなくて、ちゃんと消費者が生産者と関係を結べる、そういうラインを理解するってことが大事だと思っています。 


そしてですね、ぼくが子どもの時は、生産者がすぐそばにいたんですね。 ぼく、京都市の北大路新町に住んでたんですけど、上賀茂から、振(ふり)売(うり)りのおばさんが大八車で野菜を持ってきて、「これが今年のものや、今月できたものや」と、そう言って教えてくれ、いろいろ学べたんですけど、それがなくなってきた。 旬というものがなくなってきた。 こないだ冬至でカボチャを食べましたけども、そのカボチャが、家では、北海道産でしたけれども、日本には、メキシコ産のものがあったり、トンガ産、ニュージーランド産のものがあったりして、このように、季節を通して、いつでもいろんなものが世界中からやってきている。 日本人はこれを当たり前のものとして無意識に享受し、こういうことで旬という感覚も失ってきているのではないか。 


これは、別に日本の消費者だけじゃなくてですね、日本は世界からいろんなものを買い付けしているわけなんですが、こないだチュニジアに行ったら、チュニジア産のマグロやマッタケがどんどん日本に向けて売られてました。 そういうふうな買い付けのラインというのができあがっているんですけど、それが、日本人の旬の感覚だけでなく、その生産をしている海外の社会自体を壊したり変えたりしているということがあります。 例えば、トンガの人たちはカボチャを食べません。 大体タルイモとか食べてますが、日本向けにカボチャを作っている。 そういう形の生産ラインが出てきて、商社や流通業者の人が大体それを握っている。 これからも、こんなふうに自由に全部やっていけるのかどうかということであって、もうそういう時代ではなくなっていくのではないか。 重要なのは、結びつきというのを意識して、生産者は日本にも世界にもいるわけですから、日本の消費者もそういうことを考えながら、モノを買ったり食べたり、判断したりしていく必要があるだろうと思います。 まあ、こういうフードチェーンは、お金の連鎖関係が重要ですが、それだけではいけないということです。 


日本の農業に何が起きているのか


で、日本文明の現状、ということですが、どうも、日本の農業は見えにくいんですね。 ほんとに、消費者と生産者の距離が遠くて、長~いチェーンができてます。 なぜこんなに食料のことは見えにくいんだろうか。 市場っていうのは、平和な時はうまく回転するんですね。 市場経済のシステムは、非常に効率のいいものですが、でも、平和でなくなったらすぐに潰れてしまいます。 それは、もう、事実で、このことを考える必要がある、ということです。 国の視点としては、自給率の維持とかを考えている。 今はね、ほんとに、米作一辺倒なんです。 1960年代以降ずっと行われてきた農家の仕組みというのは、水田稲作にだけ偏ったんですね。 だから、このことによって、米しか作らない。 農業者の人で、野菜を作らなくて米しか作らない人はたくさんいます。 こういう問題は、農業の経営の効率化だけでは、多分解決できないだろう、と。 効率化は重要だが、規模を拡大したから、日本の食料、農業がうまくやっていくか、というとそういう訳にはいかない。 もう一つは、日本の農家は、小規模な自作農家が中心ですので、これがどういうふうに生き延びていくかっていうのも一つの大きな課題だと思います。 そのためには、多分、農協そのものも大きく変わっていく必要があると思いますけども、ここは、大事な視点だと思いますね。 


世界の国は、大抵大農園なんですね。 むしろ小規模自作農の国は少ない。 みんな、それぞれトラブルがある。 大農園では、みんなが農業労働者になったんですが、日本は、戦後の農地改革で自作農が大変たくさんできたんです。 そのために、わずか1ヘクタールの農地しか経営していないという問題が出てきています。 


農業所得・農家所得の変化


これ(29p)、データベースの図ですが、1960年の農家数は約600万です。 2010年には約250万。 減ったかというと大して減ってないですね。 注意すべきは、「販売農家」という概念が出てきていることです。 これ、何やって言うと、販売農家というのは、経営耕地面積が30アール以上、または、農産物販売価格が50万円以上の農家。 こういうカテゴリーを農水省は作ったということです。 なぜかというと、農家全体を対象にしていたら、自分たちの政策がうまくいかんからです。 販売農家という層に特定してみると、これから拡大していくとか、経営をうまくしていく方法が作れるからです。 でも、日本っていうのは、非常に生業としての農業が続いてきたわけですから、それは、実は、この50年間通じてもそんなに変わっていないということです。 これは(30ページ)、農家人口、農業就業人口です。 65歳以上の人口の変化ですけども、今は、農業は、65歳以上の人がほとんどやってる。 前は、75歳になったら潰れるだろうと思っていたんですが、潰れないですね。 日本は、75歳超えてもまだやっている。 ただ、規模を大きくしたら、こういう層は全部やめちゃいますからね、その時どうなるかってことを考える必要がある。 31ページ経営耕地面積ですが、びっくりすることに、平均した耕地面積は、60年には0.88ヘクタール、1町歩に足りない8反。 今は、1.33なんですね。 なぜこういう数字になってきたかというと、販売農家は1.96ヘクタールで、2町分近い。 ここの層を強調したいがために、農水省は販売農家というカテゴリーを作ってやっていますが、ホントは、ずっと続けていってデータはとっていくのが本来の姿だと思います。 


現状の認識から未来へ


とにかく、国は、販売しないような農家は、農家ではない、農業をしていなとみなすようになってきた。 所得の変化(32p)を見ましても、1960年の農業所得は21万円だったのが2000年は108万円になっていますが、まあ、いずれにしてもしれています。 ところが、農家所得だけはすごく増えています。 これはなぜかというと、農業から、工業、サラリーマンに変わる人が多くなったという側面があるからです。 農業所得は全然といっていいほど増えないという形になっています。 この理由は、(33ページ)10アールの耕地で米を作る生産費が14万957円かかります。 ところが、それを売る価格は、15万円ぐらいで、(34ページ)583円ぐらいしか儲かりません。 これでは商売にならないわけです。 ただ、農業っていうのは、別の部分があってですね、自分が自分を雇っているということですから、自分の職場で労賃が関係している部分が実際には自分の利益になる。 その部分が大体1アールでは5万円ぐらいになる。 そういうふうに計算すると、1.5ヘクタールになると売り買いで8745円儲かり、全体の利益は計75万円となり、15ヘクタールでは計750万円。 米の生産は10ヘクタールとか20ヘクタールになるとようやく経営の採算が合ってくるわけです。 これを考えると、確かに規模の拡大で解決する問題があるということはいえます。 しかし、米だけで日本の農業は成り立っているんではなくて、他にいろんな野菜なんかもあるのです。 


それで、国家とは異なる視点からということなんですが、つまり、文明全体としての日本の食料を考える必要があるんじゃないか。 それは、例えば、和食というのがユネスコの無形文化遺産になったけれども、それを支えているのは、地域、地域で数限りなく生産されている農産物、これが大事だということと、自分のベーシックな食物というものをある程度作っていく必要があるなあと思います。 これね、恐らく、お母さんたちの発言権が弱くなったか、もしくは、自分たちがずっと食べてきたベースとなる食事というのが、どっかで消えてしまったんじゃないかという気がしますねえ。 お出汁をとって和食の基本を作るという力が、だんだんなくなってきたんじゃないか。 イタリア人の場合、マンマの力がものすごく強く、それで何とか自分たちの食生活を守っているというのがあるんじゃないかというふうに思います。 まあ、日本の食文化をずっと考えて、もう一遍やり直す必要があるだろうというのが私の考え方です。 


ぼくが、文化としての農業という時、それは、経済としてだけ農業は語られているが、そうじゃないということです。 つまり、農業というのは、自然環境と人間活動の合体から生まれるものだと思っています。 その場所の生態的な環境や歴史、さまざまな民族の移動や農産物を導入してきたこと、そういうものが地域や日本の食生活を作ってきたんだ、と。 それを西洋的な農学の技術だけでやっていたら、問題が出てくるんじゃないかというふうに思います。 農産物の体系というのは、実は、世界の農学が最初に出てきた時は、「輪作」ってことを非常に重要視して、土壌をどうやって劣化から防ぐかを考えた。 そのためには何を入れたらいいかを考えたんですね。 最初は農地の休閑制度というのをやったんですけど、それに代わって化学肥料を入れよう、窒素、リン酸、カリを入れようとなって、今の西洋的な農業が出てきたわけです。 これに比べ、われわれ日本の農業は灌漑農業で、畑の土壌劣化は含まないような、水を中心にした考え方ですので、西洋農業とは違うような価値観が出せるのではないかというふうに考えています。 また、牧畜というのが欠落しています。 西洋農学の基本は、牧畜を農作物の過程に入れて循環させるというところから出てきているんですけども、それも欠落している。 これをどう考えたらいいか。 


いろんなところで日本の場合、水によってみんな循環させるんですね。 だから、いいことも悪いこともすべて水に流すという姿勢がある。 日本には「虫送り」という行事があります。 自分とこの集落にイモチ病とかついたらあかんというので、虫を送り出す行事ですが、北陸の方では、隣の集落まで行って川に流すんです。 何もかも水に流す。 隣の集落はたまったもんじゃないでしょうが、観念的ですけれども、まあ、そういう発想が日本にはあると思ってます。 


生活の歴史というのは、むしろ明治よりも戦後の変化のほうが大きいので、まあ、栄養の思想ってことも根本から考え直してみる必要があるかなと思うんです。 栄養っていうのは、維持するためだけでなくプラスのために何か入れてくるっていう考え方だったけれども、栄養って、プラスだけでなく引いてみたり足してみたり、いろいろする必要があるんかなと。 そういう枠組みを大きく変えて、食から農まで一貫した勉強が出来る環境を作りたいと思い、龍谷大学に農学部を作ることにしたんです。 龍谷大学は、命を重要視するっていうことで、仏教の循環思想から農学部を、ということなんですけど、それをもう少し社会経済的な要素も含めて、教養としてね、農業ができるようになってほしいと考えながら学部づくりを進めています。 基本的には、われわれ都市民自身の生命を守るために、基本的な農業というのが必要なんじゃないかと、いうふうにぼくは考えているわけです。 


では、このへんでスピーチを終えます。 後は、次のディスカッションに引き継ぎたいと思います。 




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